《昭和44(1969)年に桂小文枝(こぶんし)師匠(後に5代目文枝)に入門して以来、ずっと「文珍」を名乗っている。半世紀以上使ってきた名前に愛着はあるが、将来、大名跡を襲名する話も、チラホラと…》
(入門したとき)師匠が最初に考えてはった名前が「しんぶんし(新文枝)」。何となく弁当箱包むみたいでイヤやな、と思うてたら、次に出されたのが「はん枝」。微妙な顔をしてたら、〝半紙(はんし)→文鎮(ぶんちん)〟の発想で『文珍』に決まりました。
まぁ、どうでもエエような軽い名前なんですけど、ずっと使ってきましたので馴染(なじ)んでますよね。それに、せっかく師匠から付けていただいて、せっせと耕して、お客さんに覚えていただいた名前ですから、もちろん愛着もあります。
落語家にとって、大きな名前を襲名するのが得か損か?
そりゃあ、両面あると思いますよ。伝統的な名前を残すことには意味があると思います。一方で、社名変更みたいなことで、新しい名前を覚えていただかなアカン。(平成24年に6代目文枝を襲名した)三枝の兄貴も、最初は随分、苦労をしたと聞いてます。(40年以上使ってきた)「三枝」の方が通りがよかった、って。
(襲名を)やりたい人はいっぱいいるでしょうけど、大きな名前を継いで、その人が「小さくしてしまった」とは言われたくないし、先代のイメージが強烈に残っている名前はなかなか、やりにくいですよ。
《もしも、文珍さんが襲名するなら、候補に挙がりそうな名跡に桂文團治(ぶんだんじ)がある。上方落語の大名跡のひとつで、2代目米團治(よねだんじ)の門弟だった4代目文團治が昭和37年に亡くなった後は、空席となっている》
まぁ、そんなことをおっしゃってくださる方もいないではありませんが、どうなんでしょうなぁ。
その前に「桂ワクチン」を襲名せなアカン(笑い)し、「米朝(べいちょう)」は一門が違うし、(桂)ざこばさん=米朝さんの弟子=らから怒られてまう。なら「春団治」にしょうか? って「もう(4代目が)いてはるがな」なんて、きつい冗談も言うてるくらい(苦笑)。
先代のイメージが消えて、なおかつ大きな名前というたらもう(三遊亭)圓朝(えんちょう)(1839~1900年、落語中興の祖といわれる大名人)でっか? もちろんこれも冗談です。そんなこと言い出したら、「バカヤロー」って、皆に殺されますわ(苦笑)。
《襲名は、タイミングと進め方が難しい》
(襲名は)時期が来たら、ちゃんと考えなアカンのかもしれません。
ただし、自分から「やりまっせ」と手を挙げるもんでもない。「誰かが継いでくれなアカンなぁ」といった待望論が出て、根回しがあって、〝外堀埋めて〟からやらないと、なかなか具合が悪いんですわ。
それに、大きな名前を継いだら、ばかばかしい新作の噺(はなし)をやりにくくなってしまうかも(苦笑)。実際、襲名して仕事が減った人もいますからね。
《目の前の仕事でアタマはいっぱい》
今のところ、具体的な話はないし、私の中では、目の前の落語会のことで頭がいっぱい。とりあえず、そっちをしっかりやって成功させないと、という思いが強いんです。もうエエ年ですから、襲名が「戒名」になっても困る(苦笑)。
まぁ、すべてはタイミング、時の流れですよ。(聞き手 喜多由浩)
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明日からプロ野球「楽天」初代監督の田尾安志さん。