先の大戦などで戦没し、千葉県内に本籍がある5万7828柱の神霊(みたま)を祭る千葉県護国神社は25日、御神体である神霊をこれまでの千葉市中央区弁天から新たな境内地である同市若葉区桜木に移す「遷座祭」を厳かに執り行った。遷座は55年ぶりで、背景には遺族の高齢化などがある。26日には一般の参拝が始まって多くの人が訪れ、かつて祖国のために命をささげた県民らの冥福と平和を祈っていた。
遷座祭は25日夕方に弁天で始まり、竹中啓悟宮司が祝詞を読み上げた後、社殿の内陣に納められていた御神体を奉持。雅楽が奏されるなか、白い絹垣で四方を覆われながらゆっくりと進み、半世紀以上にわたって鎮座した場所を後にした。
続いて同日夜、桜木の新境内地では御神体が到着後に全ての照明を消灯。神職が手に持った陰灯(かげとう)のほのかな明かりだけを頼りに、絹垣に覆われた御神体が進んだ。真新しい社殿に入ると、竹中宮司が内陣に御神体を納めた後、神前で祝詞を読み上げ、遷座の経緯などを明らかにした。
遷座祭には、奉賛会会長を務める臼井日出男元防衛庁長官や県遺族会の椿唯司会長、千葉市の神谷俊一市長をはじめ国会議員や自治会の関係者ら約50人が参列。竹中宮司は「国のために尊い命をささげられた英霊をまつる護国神社。皆様方の一層のご協力を頂きながら、後世にこの神霊の事績を伝えていかなければならない」とあいさつした。
遷座の背景には戦没者遺族や戦友の高齢化がある。弁天では階段や段差が参拝の妨げとなっていたが、桜木では敷地内のバリアフリー化を進めた。遷座祭が終了した後、椿氏は「このように立派な社殿ができたことを一人でも多くの人に知っていただきたい。英霊もさぞかし喜んでおられることと存じます」と笑顔を見せた。
新たな境内地は敷地面積が約1200坪で、社殿や神門、鳥居のほか社務所や県遺族会事務局の建物などを備えている。県護国神社は明治11年に創建された県招魂社をはじまりとし、弁天には昭和42年に遷座していた。