日本人が気温を測り始めた時代は、明治の文明開化以降を想像してしまう。
だが、江戸時代の末期には奉行所の役人がカ氏目盛りの温度計を見詰め、数値情報で暑さと寒さを確認していたのだ。
例えば、弘化三(1846)年では「六月九日 晴 九十二度にいたる。堪(たえ)かぬる也(なり)」。「十月五日 朝より雪ふる。みな驚きぬ。四十二度のさむさ也」といった記録が残っている。
現代の暦では7月31日と11月23日。カ氏九十二度と四十二度は、セ氏に直すと33・3度と5・6度。
出久根氏の小説
時代劇では目にすることのない、当時の気温測定を出久根達郎さんの近著『花のなごり』と前作の『桜奉行』で知った。
ともに幕末の外交分野で活躍した幕臣、川路聖謨(としあきら)(1801~68年)を主人公とする歴史小説だ。
川路は人柄と問題解決能力で士民に慕われ、条約締結を迫るロシアのプチャーチン提督にも一目を置かれた人物である。
川路には奈良奉行として平穏な5年間を過ごした日々があった。黒船の出現前夜のことである。彼は古都での暮らしや出来事を日記につづり、江戸に残してきた母へ定期的に手紙として送っていた。
この日記の名は『寧府(ねいふ)紀事』。寧府は奈良の異表記・寧楽(なら)にちなんだ命名だ。
川路聖謨の日常
出久根さんは『寧府紀事』を読み解きながら、川路一家や家臣たちの暮らし、奉行所で扱う事件や回想などを織り交ぜつつ、江戸後期の奈良の町と風物を歴史小説の舞台に載せた。
前作の『桜奉行』(平成28年、養徳社・1980円)では、大火の痛手が尾を引く奈良の町に、川路の発案で桜の植樹が進められた歴史的事業が作品の中心に据えられている。
昨年11月刊の『花のなごり』(養徳社・2750円)では、奈良奉行時代の終盤部分とその後の川路が描かれている。読者は家臣の愉快な幼女の天才ぶりに舌を巻いたり、北方探検家、間宮林蔵の意外な素性に驚いたりするだろう。
奉行所が測候所
それらと並ぶ驚きが両作品中の気温の記録である。出久根さんが拠(よ)った『寧府紀事』に当たってみると川路はかなりの頻度で気温を書き留めている。
夏の暑さと冬の寒さに関心が向いており、弘化三(1846)年の場合、閏五月には10日間、六月には14日間、七月には12日間の記載がある。
閏五月三日(6月26日)は八十九度(セ氏31・7度)。「夕は風更になくひるにまさりて蒸暑甚し。下女なとみな少々宛(ずつ)煩ふ也」のコメント付きだ。