先日、1990年代が舞台の漫画「古(いにしえ)オタクの恋わずらい」(ニコ・ニコルソン著)を読み、懐かしい気持ちになった。当時、多くの若者にとって「オタク趣味」は隠すべきものであり、公の場では自分がオタクではないと振る舞わないといけない〝空気〟が存在した。だからこそ、今の若者が堂々とオタクを公言する姿に隔世の感を覚える。正直に言うとうらやましい。
漫画界の伸びはコロナ禍でも著しい。出版科学研究所によると、昨年の電子コミック市場は前年比20・3%増の4114億円と右肩上がりが続く。SNSを開けば漫画の話題にあふれ、映画もテレビドラマも漫画原作の作品が強い存在感を発揮している。
注目度の高さと比べ、新聞紙面では漫画の記事がまだ少ない。それでは、漫画の話題を新聞で報道する意味とは何か。それは漫画が今の時代の「映し鏡」になっているからだ。現在の人たちが何を格好いいと思い、何に問題意識を抱くのか。時代の〝空気〟に向き合っているのはまず漫画であり、その後で映像や文学などに波及していると思う。
取材をしていてしびれるのは、次世代を担う新星が続々と登場する点である。新人たちが粗削りの才能をさらけ出し、ぶつけ合う。才能が集う場にはカネも欲望も巨大プロジェクトも集まる。読者の心を震わせる新作が毎月のように登場し、世界では漫画が新たな日本文化の代表として認知されつつある。そんな漫画を紙面で語らないのは「文化部」の名折れだと思うのだ。
ただし〝空気〟は活字に残さないと存外あっという間に忘れ去られる。インターネット上の記録は年々消え、黎明(れいめい)期のネット文化は少しずつ失われている。20世紀後半から21世紀前半、つまり今の人々がどういう文化に親しんでいたのかをリアルタイムで紙に書き残すことも重要なのだ。
物語性の薄い凡庸な人生を歩んできたが、それでもしんどい出来事はそれなりにあった。そんな時に救いとなったのが、漫画を中心としたポップカルチャーだった。ある意味「公」の象徴的存在である新聞で、これらの話題を卑下もせず誇張もせず、淡々と書き続けること。これがポップカルチャーの底力に背中を押されてきた自分にとって、最大の恩返しだと考えている。
【プロフィル】本間英士
平成20年入社。前橋、大津支局などを経て文化部。学芸を担当し現在は放送、漫画担当。漫画書評「漫画漫遊」「気になる!コミック」を執筆。