経済的自立を達成すれば、組織や時間など何かに拘束されることはなく、自由を得られるわけですから、「FIREとは」という定義にも拘束される必要はありません。自分が思い描く理想の人生を、自分がしたいと思うことを、すればいいのです。それが、仕事であったり、趣味であったり、ボランティアであったり、もしくは従来の隠居のイメージに近い読書や動画鑑賞でも良いわけです。
自分にとっても、社会にとってもプラスになる
ただ、私は、人間は一人で生きるものではありませんから、(1)役割を担う、人や地域社会や日本や外国に貢献する(2)それを自分が好きな方法でする(3)その中で自分の幸せも追求する-FIREしてからも、これが大切なように思います。
人は自分が好きなこと、得意なことをしているときが、最も楽しく、最も実力を発揮できます。当然なこととして、そこからのアウトプットは良好な結果が期待できます。良好な結果が残せると、また好きになり、また得意に感じ、楽しくなっていきますので、良いサイクルが生まれます。これは自分にプラスなって、社会にもプラスになる、理想のWin-Winですね。
このように、FIREには決まった定義など必要ないと思います。定義に縛られては、自由を求めてFIREしたはずなのに本末転倒と言えます。自由を不自由にするほど無価値な行為はありません。私は、「おけいどん式FIRE」の理想形をこれからも追い求めていきます。それが自分の幸せのためであり、合わせて、社会のためにもなれば良いと望んでいます。