僕は高校生の夏、16歳でザ・ゴールデン・カップスに加入しました。カップスはその前年、1967年6月に「いとしのジザベル」でシングルデビューして、2枚目が11月の「銀色のグラス」。68年4月の「長い髪の少女」でGSの人気バンドになっていました。
でも、加入前にジャズ喫茶とかで見ていたカップスは、もっとロックで尖っていて、サイケデリック。年を重ねた今聴けば、シングル曲もたそがれて憂いがあっていいと思うし、時代がつくらせたこともわかりますが、当時は歌謡曲然としたメロディに〝なんで?〟と感じたのも事実です。
GSの代表曲はこの曲の橋本淳さんはじめ、阿久悠さん、なかにし礼さんらが素晴らしい詞を、曲も一流の方たちが書いていました(カップスはシングル4作目の「愛する君に」まで鈴木邦彦さん)。ロックバンドにアートなどは求められず、売れるか売れないかだけで判断された時代です。
そのなかで「銀色のグラス」には、異質な部分がありました。ロックそのもののオープニングです。対照的に歌の導入部分はまるで違う歌謡曲のようになっています。
果たしてこれってみんなの、歌謡曲や歌謡界、芸能界への反発だったんじゃないのか。のちにそう思えるようになりました。「銀色のグラス」は歌謡曲で売りたいレコード会社と、ロックしたいバンドがアンバランスだった当時の極み。メジャーに行くにはレコード会社の言うことを聞かなきゃいけないけど、俺らは…。その反抗を最初の30秒で表したのかもと。たかが30秒でもカップスは風穴を開けた。戦後、自由にならなかった世の中が、徐々に開かれていく段階だったのかもしれません。