がんは昭和56年から日本人の死因のトップとなり、現在年間37万人が亡くなっている。がんの年齢調整死亡率は減少傾向とはいえ、死亡者数は年々増加していて、しかも亡くなる場所の9割近くは病院である。
私は家族のがん療養体験から、がん患者が病院でなく家で過ごす時間を希望したら選べるようになればいいと感じていた。そして、在宅ケアの推進を願い、平成4年から東京都新宿区を基点に、当時はまだまだ知られていなかった訪問看護を始めた。
がん医療は近年、目を見張る進歩を遂げ、押し寄せる患者の治療をよりスピーデイに行う意味で(他にもさまざまな理由があるにせよ)入院治療ではなく外来治療にシフトしてきた。
在宅分野で四半世紀近く実践を続け、最期の場所として在宅を選んだ方々を引き受けてきたが、私たち訪問看護とつながる時期があまりに遅い事例に出合うことが多くなったと感じ始めたのが16年前頃だった。がん対策基本法の施行後、がん拠点病院に指定されたがん専門病院の外来はあふれんばかりで、心配事があっても、なかなか相談支援センターにはたどりつかない状況が見られた。
平成26年度の患者体験調査によれば、がん相談支援センターの利用率は7・7%。このような状況の中で、外来通院時から、もっと気軽に相談に行ける場所があり、そこで、十分に話を聞いてもらい、治療内容のみでなく自分の行く末をきちんと考え、療養場所についても考えて選択でき、早めから在宅医療を利用できることも伝わるのではないかと考え始めた。
そして20年11月、国立がん研究センターで行われた国際がん看護セミナーで、英国のマギーズキャンサーケアリングセンター(以下マギーズセンター)を初めて知ったのをきっかけに、22年2月にCEOのローラ・リー氏を招聘(しょうへい)した。
翌23年7月、新宿区にある巨大団地の商店街の一角に、このマギーズセンターのコンセプトをベースにした「暮らしの保健室」を開設。病院でも家でもない第3の場所での相談支援を始めた。ただし、ここは、がん以外の相談も受け付けるよろず相談所でもあり、居場所づくりでもあった。
この経験をもとにして、本格的ながんとともに歩む人と家族・友人のための相談支援センター、つまり、マギーズ東京の開設に向けて26年から動き出し、28年10月、東京都江東区豊洲に日本初のマギーズセンター「マギーズ東京」をオープンするに至った。
そして、令和3年は暮らしの保健室10周年、マギーズ東京5周年を迎えるにあたり、改めて、その意義を考えることになった。この間の多くの相談内容から、病院と家の中間にある「第2のわが家=第3の居場所」で、心のうちの不安や心配事を十分に吐き出す場所が必要であり、十分に聴きながら、問題の整理を手伝い、自分を取り戻して歩きだせるように背中を押す、その場所と人の必要性を改めて実感している。
(マギーズ東京センター長 秋山正子)