Twitter上での論争をめぐり、個人がNTTドコモを相手取り、情報開示請求を訴えた東京地裁での裁判の口頭弁論が2021年10月19日に終結し、12月10日に判決が出た。判決文によれば、原告勝訴で発信者の情報公開を命ずる判決となった。
ここだけ聞くと、これまでも名誉毀損等でよくあった裁判のように思えるが、争点となったのが著作権であったことから、一般のTwitterユーザーにも大きな影響が出そうな判断が含まれることとなった。
被告側が控訴する構えを見せているため、これで確定したわけではないが、Tiwtter上の言い争いからなぜ著作権法が引っ張り出されるのか、われわれは今後どう対応していくべきなのか、そういうことをまとめてみたい。
■争点となった著作物性
判決文には原告のTwitterでの発言が証拠として掲示されており、その内容から察すると、複数人との間で言い争いがあったようである。ただ双方の発言は、裁判上で争いとなった部分に限られるので、細かい経緯は分からない。
だが、この裁判の前に原告はTwitterに対して、相手方のIPアドレスとタイムスタンプの開示を求める仮処分命令を申し立てており、東京地裁では2021年5月にこの申立を容認する仮処分決定を行っている。そして開示されたIPアドレスとタイムスタンプを元に本人を特定するため、その情報を持っているキャリアに発信者情報開示請求をした、という流れである。よってこの裁判の被告が、キャリアになっているわけだ。
この裁判の争点は、大きく3つに分けられる。
プロバイダ任制限法4条1項にいう「権利の侵害に係る発信情報」の該当性
権利侵害の明白性
ア:原告各投稿の著作物性
イ:引用の成否
■正当な理由の有無
ここでキーになるのは、(2)の「権利侵害の明白性」だ。ここが名誉毀損等ではなく、著作権の問題となっている。
では具体的に何が問われたかというと、相手方が原告のツイートのスクショ(スクリーンショット)を添付し、発言の趣旨を問いただす旨の投稿をした。そのスクショが、著作権法上の権利を侵害した、というわけである。
そこで、ア:原告の発言に著作権で保護されるような著作物性があったか、イ:相手方の発言は引用の要件を満たしているか、ということが判断されることとなった。
まずアの著作物性についてだが、著作権法上の著作物とは「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。」と定義されている。判決ではスクショに撮られた原告の4つの発言について、その著作権性を吟味している。分かりやすいようにそれぞれについて、発言と判断を対比させて見ていく。
■Twitter上の発言と裁判所の判断
原告投稿1
こないだ発信者情報開示した維新信者8人のログインIPとタイムスタンプが開示された
NTTドコモ 2人
KDDI3人
ソフトバンク2人
楽天モバイル1人
こんな内訳だった。KDDIが3人で多数派なのがありがたい。ソフトバンクが2人いるのがウザい
しかし楽天モバイルは初めてだな。どんな対応するか?
東京地裁判断
原告投稿1は140文字以内という文字数制限の中、発信者情報の仮の開示を求める仮処分手続を経て、著作権侵害と思われる通信に係る経由プロバイダが明らかになった事実に基づき、当該事実についての感想を口述的な言葉で端的に表現するものであって、その構成には作者である原告の工夫が見られ、また、表現内容においても作者である原告の個性が現れているということができる。
原告投稿2
「@B @C @D >あたかものんきゃりあさんがそういった人たちと同じよう
「あたかも」じゃなくて、木村花さんを自殺に追いやったクソどもと「全く同じ」だって言ってるんだよ。
結局、匿名の陰に隠れて違法行為を繰り返している卑怯どものクソ野郎じゃねーか。お前も含めてな。
東京地裁判断
原告投稿2は140文字以内という文字数制限の中、意見が合わない他のユーザーに対して、短い文の連続によりその意を明確に修正した上 、高圧的な表現で同人を罵倒するものであり、その構成25には作者である原告の工夫が見られ、また、表現内容においても作者である原告の個性が現れているということができる。
原告投稿3
「去年の今頃、「@E 」とかいう高校3年生の維新信者に絡まれて勝手にブロックされて「何したいんだ、このガキ 」って事が
さっき、あのガキのツイートが目に入ったんだけど受験に失敗して浪人するわ都構想は否決されるわで散々な1年だった様だ
「ざまあ」以外の感想が浮かばない (笑)
東京地裁判断
「原告投稿3は140文字以内という文字数制限の中、かつてツイッター上で特定のユーザーとトラブルとなった経緯のほか、その後、当該ユーザーの政治的主張が採用されなかったこと、当該ユーザーが大学入試に失敗したことを端的に紹介した上で、当該ユーザーが不幸に見舞われたことを「ざまあ」の三文字で嘲笑するものであり、その構成には作者である原告の工夫が見られ、また、表現内容においても作者である原告の個性が現れているということができる。
原告投稿4
@C アナタって僕にもう訴訟を起こされてアウトなのに全く危機感無くて心の底からバカだと思いますけど、全く心配はしません。アナタの自業自得ですから。
東京地裁判断
原告投稿4は149文字という文字数制限の中、原告に訴訟を提起されたにもかかわらず危機感がないと思われる特定のユーザーの状況等につき、「アナタ」、「アウト」、「バカ」、「自業自得」という簡潔な表現をリズム良く使用して嘲笑するものであり その構成には作者である原告の工夫が見られ、また、表現内容においても作者である原告の個性が現れているということができる。
よって4投稿とも、「言語の著作物に該当する」としている。
これは一体どこの虚構新聞なのかと思われたかもしれないが、判決文にはこのように記載してあるので、うそだーと思う方は上記リンクから判決文を参照していただきたい。著作権法による著作物の要件では、その内容は問われず、独自の工夫と個性が現れていれば事足りる、というわけである。
これに関しては、違和感を覚える人も多いかもしれない。だがここには、不愉快であるということを理由にその芸術性を否定できないという難しさがある。一方で罵詈雑言であろうとも、創意工夫と個性があれば著作物として法で保護されうるというのは、まあ法的にはそうなのだろうが子供にはちょっと教えることを躊躇する話ではある。
■Twitter発言のスクショは引用ではない?
今回特徴的なのは、原告の相手方となった数人が、原告の発言を「リツイート」ではなく、スクショで添付しているところである。相手方の発言をスクショで見せるという手法は、みんながみんなそうしているとは言わないが、見かけることはある。
理由はさまざまだろうが、すでに対象となる発言が発信者によって削除されているとか、複数の発言を時系列で並べたいと言った場合は、Twitterが提供するリツイート機能では事足りず、また1発言140字以内という制限もあることから、スクショで対応するより仕方がないというのが実情かと思う。
ただ、そもそもTwitterが発言を140字以内に限定しているのは、長文や時系列などの込み入った話には向いてない作りにすることでいさかいを減らすという目的があったわけだが、画像による長文がありということになれば、そうしたポリシーも機能しなくなる。今は、技術的にできるなら何でもアリ、になってしまっているわけである。
Twitterのサービス利用規約には、次のように書かれている。
ユーザーは、本サービスまたは本サービス上のコンテンツの複製、修正、これに基づいた二次的著作物の作成、配信、販売、移転、公の展示、公の実演、送信、または他の形での使用を望む場合には、Twitterサービス、本規約または https://developer.twitter.com/ja/developer-terms (*開発者利用規約)に定める条件により認められる場合を除いて、当社が提供するインターフェースおよび手順を使用しなければなりません。
つまりTwitter上の発言や画像などを扱うには、リツイートを含む公式機能を使わなければならないわけで、発言のスクショを撮ってこれを貼るという行為は、利用規約で認められた方法ではないと考えられる。
ただ、著作権法には著作権者の許諾なく利用できる方法もいくつか規定されており、その1つが「引用」である。著作権法第三十二条には以下のように記されている。
第三十二条 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。
つまり引用であるためには、「公正な敢行に合致する」ことと、「引用の目的上正当な範囲内で行なわれる」ものという2つを満たす必要がある。この「引用の目的上正当な範囲内」とは何かというと、これには5つの条件があるとされている。
主従関係が明確であること
引用部分が他とはっきりと区別されていること
引用をする必要性があること
出典元が明記されていること
改変しないこと
じゃあ原告発言スクショ付きの投稿、これらの条件に合致するか、ということになる。そこで東京地裁の今回の判決を紐解いてみると、まず「公正な敢行に合致する」かどうかに関して、スクショによる複製での投稿はTwitterが求めているインタフェースや手順ではないため規約に違反する、従ってこれは公正な慣行に合致するものと認めることはできない、としている。
ただ、この辺りは危うい判断のように思える。確かに利用規約にはないが、すでに広く認知され使われている方法であり、規約違反だからという1点のみにて公正な敢行に合致しないと断ずるのは早計ではないか、というのが法律関係者の主な意見だ。
また「引用の目的上正当な範囲内で行なわれるもの」かどうかに関しては、判決ではスクショ画面のほうが量的にも質的にも主たる部分であり、投稿者の意見部分が主ではないため、引用の目的上正当な範囲内であると認めることもできないとしている。
実際にどのような発言だったかというと、これも判決文の中にある。スクショ内容は、記事中で前記した原告投稿1〜4をご参照いただきたい。
投稿記事1
この方です( ・ω・`)。。
(以下原告投稿1のスクショ)
投稿記事2
私に対してのリプ
何にもしてないのにぃ(Ó﹏Ò。)
(以下原告投稿1のスクショ)
投稿記事3
絡んだ時間順に並べてみました。
暴言はいてます?
(以下原告投稿1、2、3、4のスクショ)
投稿記事4
はい!あなたは私に暴言をはきましたが、私はあなたに暴言をやめてとかしか言っていません。
具体的に教えていただいてもいいですか?
検索しても出てこないです!
絡んだ順にスクショ置きますね!
どの事でしょうか?
(以下原告投稿3のスクショ)
判決文で、引用の5条件のうち2〜5に関して言及していないところからすると、これらの条件は満たしているというふうに取れる。残る1の引用による主従関係は、その内容もさることながら、割と量や面積で見られることも多い。確かに文章量でみると、スクショに書かれた文字のほうが多いことになる。ただ「質」という点では、本当に添付画像が主といえるだろうか。ここも割と違和感がある部分だ。
■ここから学べることは何か
判決文からはこの揉め事の経緯までは分からないが、示されたやりとりの内容と判決結果を見ると、非常にモヤッとさせられる判決ではないだろうか。本来こうした案件の情報開示請求ならば名誉毀損でやりそうなものだが、著作権で争っているところがかなり変化球である。
著作権は非常に強い権利であり、加えて内容や出来の良し悪しといった対外的評価を伴わないため、人が自分で考えて形にしたものの殆どが著作物と認められがちだ。したがって多くの争いで著作権を持ち出す例も多く、法廷で勝てる便利アイテムみたいな使われ方になっている点は、法体系全体のバランスを壊しかねないところである。
被告側が抗告しているのであればまだ確定していないが、この判決がネット利用のあり方に一石を投じることは間違いないだろう。というのも、スクショとはすでに削除された発言も引っ張り出せるという強みがある。
一方で、発言を削除という形で意見を撤回したのであれば、それはそれで認められるべきであろう。「忘れられる権利」の創出も最近は議論が止まっているように見えるところだが、削除した発言のスクショがいつまでも貼り直されて出回るというのは、まさに「忘れられる権利」の考え方とは相反するところである。
昨今は一定時間で投稿が消えるというサービスも人気となっているが、これは消えたらもう見られないからいいのであって、スクショでいつまでも見られるのであれば、サービスを利用する意味や価値が激減する。今回の裁判で言えば、中身がモヤッとするのは筆者も同じ気持ちだが、「相手発言はリツイートで参照」「削除した発言はもう読めない」はサービスが定めたルールであり、ルール外で戦ったら誰も守れないよ、という話でもあるのだ。
この裁判からは、スクショを撮るのは証拠保全として、サービスのルール外、すなわち裁判のような場所で有効に活用する伝家の宝刀のようなものではあるが、サービス内でめったやたらに振り回すと逆に不利になる、ということは学べるのではないだろうか。
まあそれよりも、頻発するこうしたいさかいに対して抑止効果を失ったサービス上で、目を血走らせてう○この投げ合いを続けて何になるのか、ということが、今回一番大きな学びと言えるかもしれない。
※ちなみに裁判所の判決は、権利の目的とならない著作物として著作権法第十三条三に規定されている