JR常磐線の取手以北が電化された昭和36年に誕生した車両基地の勝田車両センター(茨城県ひたちなか市西大島)が60周年を迎え、JR東日本水戸支社はさまざまな記念イベントを実施している。その一つが電化の創成期から活躍し、「赤電(あかでん)」の愛称で親しまれた車両の期間限定での復活だ。特に中高年の利用者にとっては懐かしい赤電と常磐線の歴史をひもといてみた。
生みの苦しみも
当時の国鉄は首都圏へ行き来する乗客らの輸送力増強のため、取手以北の電化を計画。課題は気象庁地磁気観測所(同県石岡市柿岡)の存在だった。取手までの区間で採用した直流電化方式を取り入れると大電流が地中にも流れ、大正2年から蓄積を続けている観測所のデータに影響を及ぼすおそれがあった。
一方、国鉄で実用化していた交流電化方式なら電流量は少なく、観測データも守られる。このため、取手以北は交流で電化され、昭和36年6月から勝田までの運転を開始。投入された交直流両用の401系の車両はボディーがあずき色に塗られ、後に赤電と呼ばれるようになる。
消えた車内灯
交直切り替えとなる取手-藤代間には架線に電流が通らない〝死電区間〟が設けられ、夜間の通過時には車内灯が消えて暗くなった。現在使われるE531系は死電区間に差し掛かると車両に積んだバッテリーが自動的に作動し、車内灯が消えることはない。
赤電の愛称は国鉄の命名ではなかった。昭和42年から同じ常磐線の上野-取手間を走り始めたエメラルドグリーンの快速電車は〝青電〟と呼ばれており、利用者がそれぞれの車両を色分けするようになったという説が有力だ。