大阪市北区曽根崎新地のビルで起きた放火殺人事件で、現場から搬送されて重体の谷本盛雄容疑者(61)。離婚後の10年前、息子を刺す事件を起こしたが、その後の生活実態はほとんど明らかになっておらず、動機やクリニックとの関係も見えていない。
《長期間真面目に働いていたこともあり、もともとは犯罪傾向を有するものではない》
平成23年4月、長男の頭などを包丁で刺したとして、殺人未遂罪などに問われた谷本容疑者に対し、大阪地裁は23年12月の判決で懲役4年を言い渡した。実刑だが、更生は可能と判断した上での結論だった。
知人らによると、谷本容疑者は昭和35年生まれ。実家は鉄工所を営んでいた。中学の同級生だった男性(62)は「自宅の煙突の修理を頼んだら、父親と一緒に来たことがある。友達付き合いは少なかったようで、同窓会には一度も参加していない」と明かす。
職人の道を歩み、62年には大阪市西淀川区の3階建て住宅を新築。結婚生活を送っていた。近所で酒屋を営んでいた男性(59)は「奥さんと息子2人の4人暮らしだった。ビールを配達すると『おおきにありがとう』と笑顔で言ってくれて、優しそうな印象だった」と振り返る。
ほどなくして実家の鉄工所を退職し、職を転々としていたが、平成14年に大阪市内の別の鉄工所に就職した。鉄工所の社長(78)は「職人としては他の社員とは比べ物にならないくらいの腕があった。後輩たちからは〝谷さん〟と呼ばれ慕われていた」と話す。
地裁判決などによると、20年7月に「どうしてもやりたいことがある」と鉄工所を退職し、2カ月後には離婚。家族と離れて大阪市内を転々とした末に殺人未遂事件を起こした。判決は《寂しさを募らせて孤独感などから自殺を考えるようになった》と離婚が犯行の要因になったと認定。1審判決後は控訴することなく服役した。
27年夏ごろ出所し、大阪市内で生活を始めたが、事件直前に西淀川区の住宅に戻ってくるまでの詳しい足取りは明らかになっていない。ただ、家族らとの交流はほとんどなかったとみられ、大阪府警天満署捜査本部は出所後の交友関係やクリニックとの関係などを詳しく調べている。