いつまでも二枚目 たまらなくアラン・ドロン

若き貴族役も“美しさ”ゆえの大抜擢「山猫」(1963)

zakzak

数々の名作を作り上げ、イタリアの映画史に名前を刻むルキノ・ヴィスコンティ。その代表作のひとつ『山猫』は1963年、第16回カンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールに輝いた。

舞台は、統一戦争時のイタリア、山猫が紋章の名門貴族サリーナ侯爵(バート・ランカスター)はおいのタンクレディ(アラン・ドロン)とフィアンセのアンジェリカ(クローディア・カルディナーレ)を跡継ぎにと考えている。

イタリア貴族の血を引くヴィスコンティの映画といえば、トーマス・マン原作の『ベニスに死す』(71年)に登場した世界一の美少年、ビョルン・アンドレセンを見いだすなど、最も美を追求した映画監督だ。

「山猫」の若き貴族役もアラン・ドロンのその美しさゆえの大抜擢(ばってき)だった。ヴィスコンティがドロンに目をとめたのが『太陽がいっぱい』(60年)のトム役だった。

美しすぎるアラン・ドロンが日本で不動の人気を得るのも時間の問題だった。やがて銀幕のスター、アラン・ドロンはテレビに登場する。70年代、日本で男性ファッションのダーバンのCMに出演した。

CMのラストに流れる「ダーバン、セレレガンス・ドゥ・ロム・モダン」というフランス語の「ダーバンは現代の男性のエレガンス」という意味がわからなくても、マネしてそれっぽくつぶやく人が多かった。アラン・ドロンは60、70年代の美しき男の象徴だった。

その後、日本に海外旅行ブームが訪れ、数々の欧州旅行パックが企画された。本物のアラン・ドロンのディナーショーを盛り込んだツアーが何年にもわたり人気だった。

当時、セーヌ川の自由の女神像の近くに日系企業の経営するホテルがあり、そこでアラン・ドロンと出会えるディナーショーが開催されたことがあった。多くの日本人ファンがアラン・ドロンとの時間を満喫した。

ディナーショーではアラン・ドロンを身近に眺めるだけでなく、追加料金を払うと花束を渡すことができたり、ツーショット写真も撮ったりすることができた。握手だけで満足せずにアラン・ドロンに抱きつき、キスまでされる強者もいた。継続的にツアーが組まれたスターは、世界中探してもアラン・ドロンくらいだろう。 (小張アキコ)

■山猫 日本公開は 1964年1月18日。 ルキノ・ヴィスコンティ監督。日本で公開されたのはシドニー・ポラックが監修した161分の「英語国際版」。

  1. あすの「カムカムエヴリバディ」1月27日第61話あらすじ ジョーと結婚したるい、京都で回転焼き屋をオープン

  2. 名脇役の斎藤洋介さんが死去 69歳、人知れずがんで闘病

  3. あすの「カムカムエヴリバディ」1月28日第62話あらすじ 回転焼きの評判は上々も何もできないジョー、ある日るいが倒れ…

  4. Eカップ小島みゆ、変形ビキニで浜辺を歩く 「妹役という設定で演技に初めて挑戦しました」

  5. 「カムカムエヴリバディ」堀部圭亮演じる「吉右衛門ちゃん」登場 父子の1人2役に「パパそっくり」「けちえもんに…!」と視聴者大喜び