神戸市埋蔵文化財センターの企画展「『福原京』の考古学」に行ってきた。1991年に開館した当センターには、「福原京」関連の考古資料・データが保管・蓄積されてその解明に取り組んでいる。平安時代末期の治承4(1180)年に神戸にひらかれた「福原京(和田京)」は、半年で都がえりしたので地上にはその痕跡がほとんど残されていない。そのため幻の都とも言われるほどに実態が不明で、『方丈記』や『平家物語』などからその姿を想像するしかなかった。
ところが地下鉄や道路工事などに絡んで、1982年の楠・荒田町遺跡の発掘調査を皮切りにいくつかの遺跡調査によって考古学的に福原京の都の姿が少しずつ明らかになりつつある。その中で神戸大学医学部付属病院構内あたりが福原京の新内裏だと推測されている。
平清盛(1118―81)没後840年にあたる今年の8月から11月までこの企画展が開催された。「福原京」のことは聞いてはいたが、発掘調査などが行われていることは初めて知った。陶器などの食器類、井戸や木棺墓などの遺構も数多く確認されている。このあたりは古くから栄えた港である大輪田泊を眼下に見晴らす高台にある。
展示されていた発掘物や古地図を見ながら説明文を読んでいると、興味がわいてきて学芸員の人に質問もさせてもらった。発掘に立ち合った人の話を実際に聞くと、より展示物に親近感が生まれる。
企画展を見学した帰りに「福原京」あたりを歩いてみた。実はこの新内裏があったとされる場所は通っていた中学校のすぐ隣だった。また生まれ育った実家にも近かった。10代の頃の懐かしさとともに、800年以上前とはいえ都があったかと思うと浮き浮きした気分になった。
新内裏と思しき場所から道路を隔てると荒田八幡神社がある。中学生の時にこの前の公園で友達と暗くなるまでだべっていたことを思いだした。近くの銭湯に場所を移して語り合ったこともあった。神社の境内に入ると平清盛の孫にあたる安徳天皇の在所の碑もあった。今までは意識していなかったが、ここに碑があることをなるほどと納得した。