よみがえる日英同盟

日本の安全保障に「第2次日英同盟」が急務 100年前の解消を歴史的失敗の教訓に

zakzak
岸田文雄首相
岸田文雄首相
その他の写真を見る (1/3枚)

第一次世界大戦を経て、世界のリーダーとなった日本は、パリ講和会議(1919=大正8=年)で「人種差別撤廃」を提案した。後の国際連盟設立(20=同9=年)に際しても、日本は「人種差別撤廃」の文言を規約前文に入れるよう求めたが、全会一致ではなかったとして拒否された。

そうしたなか、かつては日露戦争後のポーツマス講和条約の仲介を買って出てくれた米国の横やりで、日英同盟は解消に追い込まれてしまう。

米国の提唱した、日本と米国、英国、フランスの四カ国条約の締結(21=同10=年)に実質的に飲み込まれ、02(明治35)年から23(大正12)年まで20年間続いた日英同盟は終焉(しゅうえん)した。日本の国際的地位が揺らぎ始めたのは、それからのことだった。

元駐タイ大使の岡崎久彦氏は、第一次世界大戦後の世界大恐慌後も日英同盟が続いていたら、どうなっていたかを次のように考察した。

《あの当時、中国大陸に最大の利権を持っていたのはイギリスです。そのイギリスとがっちり組んでいれば、日本は中国市場を確保できたでしょう。アメリカはたしかに日本の中国政策には反対だった。しかし、日本がイギリスと利害調整をしていれば、当時のアメリカとしては日英共同の政策には反対できません》(渡部昇一、岡崎久彦著『賢者は歴史に学ぶ』クレスト社)

日英同盟が、いかに日本に重要だったかが分かると思う。

  1. NHK朝ドラ「ちむどんどん」暢子(黒島結菜)との結婚で先走る智(前田公輝)に「サイコホラー」「背筋ゾクッ」の声

  2. 中露〝蜜月崩壊〟習主席がプーチン氏見捨てた!? 「ロシアの敗北は時間の問題」中国元大使が発言 インドの浮上で変わる世界の勢力図

  3. 【底辺キャバ嬢の盛り場より愛を込めて】困窮女性の大量参入で「ヤバいパパ」が急増 シャワー浴びてる間に財布からお金を盗み逃走

  4. 【安保法案特別委採決】辻元氏、涙声で「お願いだからやめて!」と絶叫 民主、プラカード掲げ抵抗

  5. 内田理央のおっぱい写真にファン大興奮「一瞬ビビった」「萌え死んだ」