話の肖像画

輪島功一(3)「スキー通学」で築いたチャンピオンの土台

産経ニュース
士別小学校の入学式で。前から3列目の中央が本人=昭和25年4月
士別小学校の入学式で。前から3列目の中央が本人=昭和25年4月

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《昭和25年4月、北海道士別町(現・士別市)の士別小学校に入学。開拓地からの通学は過酷だった》


一家が住んでいた山の上の開拓地から市街地の小学校までは、7キロぐらいありました。2歳上の兄と2人で通学していましたが、徒歩で片道1時間半ぐらいかかった。でも、歩ける季節はまだいい方で、問題は雪が積もる冬でした。

名寄盆地にある士別は寒暖差が激しく、夏は夏でけっこう暑いのですが、冬は最低気温が氷点下30度から40度ぐらいまで下がる豪雪地帯。その冬も長く、11月半ばには雪が降り出し、5月半ばまで残雪は消えなかった。1年のうち半分は生活が雪とともにあるのです。

積雪のシーズンは、竹で作った手製のスキー板を靴に縛り付けての通学でした。行きは下りなので歩くときよりも楽で速く、1時間かからないで小学校に着けた。つらいのは帰り道でした。スキーで山道を登るのは本当に大変で、家に着くまで2時間以上かかった。ふぶくと危険なので、担任の先生がよく「コーイツ(功一)、きょうは先生の家に泊まっていけ」と声をかけ、士別駅近くの家に泊めてくれました。

成績は割と良くて、当時の通信簿をみると、5と4しかない。勉強熱心ではなかったけれど、勘がよかったんです。


《「スキー通学」で鍛えられた足腰が、後にプロボクシングの世界王者になる土台となった》

今考えてみると、多分その通りでしょう。若い頃はあまり意識したことはなかったですが、人は小さいときに何を習慣的にしたかが決定的な意味を持つと思う。アマチュアボクシングの経験もなく、中学時代に野球部にいたという以外、これといったスポーツ歴もない私が、他の人とは際立って違う経験をしていたとすれば、あのスキー通学しかない。25歳でプロデビューして3年で世界チャンピオンになれた戦歴の原点は、小学生時代にあったのでしょう。知らず知らずに足腰も根性も鍛えられた。

そもそも私のボクシングを支えていたのは、強いパンチや変則的といわれた俊敏な上体の動きというよりは、自在のフットワークでした。強い足腰あってこその輪島功一だったのです。34歳で引退を決意したときも、なかなか踏ん切りがつかない自分自身を納得させた最大の理由はフットワークの衰えでした。


《その「スキー通学」も小学5年生までで終わった》


6年生の夏休み前に父に突然、樺太から退避したときに一時身を寄せた伯父の家に「養子にいってほしい」といわれたのです。伯父は北海道最西端の漁村、久遠(くどお)村(現・せたな町)でイカ釣り漁師をしており、子供は娘2人だったので、いっしょに漁に出てくれる男手がほしかったのです。

一方、開拓地で自給自足生活のわが家は弟2人ができ、家族6人の生活はなかなか楽になりませんでした。父は私に、伯父のところに行けば「うまい魚がたくさんあり、コメだって毎日食べられるぞ」と言いました。

これは要するに「口減らし」だなとは、小6の私にも分かりました。でも、父の言うことには逆らえないし、4兄弟のうち誰かが養子に出るとなれば、次男の私しかいないと言い聞かせました。

30年8月の異常に暑い日だったのを覚えています。「じゃあ、行ってくる」と大きな声を出して私が士別から久遠へ向かったとき、母は泣いていました。(聞き手 佐渡勝美)

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