北川信行の蹴球ノート

天狗にならず、義理堅く 大久保嘉人の20年…家族や恩人に見守られ

産経ニュース
引退会見で涙ぐむ大久保嘉人=大阪市内のホテル(撮影・岩川晋也)
引退会見で涙ぐむ大久保嘉人=大阪市内のホテル(撮影・岩川晋也)

2001年春の早朝、九州から母親に連れられてフェリーで大阪・南港に到着した、いがぐり頭の無口な少年がいた。後にJリーグを代表するストライカーとなる大久保嘉人である。それから20年。J1で歴代最多となる191ゴールを積み上げ、22日に大阪市内のホテルで現役引退会見を開いた大久保は「1年目から自分はめちゃくちゃで、長くサッカーはできないだろうと思われていたし、自分もそう思っていた。まさか39歳までプレーできるとは思っていなかった。自分の思っている以上のサッカー人生を送れ、幸せなまま(現役を)終われる」と感慨に浸った。両親をはじめとした家族や周囲の人々に見守られ、選手としても、人間としても成長した姿がそこにあった。

ワンルーム契約に込められた親心

その日、18歳の大久保少年と母親が来阪したのは、セレッソ大阪の選手寮に入寮するためだった。クラブのスタッフが南港から引率して寮生活に必要な日用品を買いそろえた。人見知りが激しく、「しゃべらない子だな」というのがスタッフの印象。「将来、日本代表に入ったときのために」と天王寺界隈(かいわい)でスーツを仕立てたのが、記憶に残っているという。

高校時代、国見でプレーする大久保
高校時代、国見でプレーする大久保

長崎・国見高時代に高校三冠を達成し、鳴り物入りでセレッソ大阪に入団した大久保だが、1年目はリーグ戦20試合に出場して2ゴール止まり。チームもJ2に降格するなど不本意なシーズンを送った。

それでも、2002年に18ゴールをマークして覚醒すると、03年からはエースナンバーとも言える背番号10を任され、02年のワールドカップ(W杯)日韓大会に出場した森島寛晃(現セレッソ大阪社長)、西沢明訓と並ぶスター選手へと成長していった。ただ、このころは「やんちゃ」なプレーぶりが最も激しかった時期。日本代表にも初選出されて注目を浴びる存在となり、プライベートでも遊びたいさかり。選手寮を出ることが決まった際には、大阪市中心部の繁華街でおしゃれなマンションを探した。

そんなときに、道を正したのも両親だった。大久保には無断で、選手寮の向かいにあるワンルームマンションを契約。そこに強制的に住まわせた。料理をしたこともない息子のため、寮に行けば不自由なくご飯を食べられるから、との親心もあったという。

自身をセレッソ大阪に導いてくれた当時のスカウトで、03年に亡くなった元日本代表の吉村大志郎(ネルソン吉村)さんからも「天狗(てんぐ)になるなよ」と度々クギを刺された。大久保の能力を高く評価しているからこその、厳しい言葉だった。

周囲のこうした叱咤(しった)激励を受け、04年にはアテネ五輪代表のエースとして活躍。オフにはマジョルカ(スペイン)への移籍を果たした。10年W杯南アフリカ大会出場後はけがに悩まされた時期もあり、心機一転を図るために神戸から川崎に移籍。闘病生活を続けて13年に亡くなった父親が残した「日本代表になれ」とのメッセージに発奮し、14年W杯ブラジル大会出場を勝ち取ったエピソードは有名だ。22日の引退会見で、亡父への思いを報道陣から問われた大久保は「すごく厳しい父だったが、父がいなければサッカー選手にはなれていないのかなと思う。引退を報告したら『よくやったな』と言ってくれると思う」と語り、涙を流した。

200件連絡の義理堅さ

ピッチ内での熱く、激しいプレーとは裏腹に、義理堅い性格も大久保の特徴。マジョルカ在籍時には、世話になった吉村さんの妻、多恵子さんをスペインに招き、自らガイド役を買って出たほど。昨オフに15年ぶりのセレッソ大阪復帰を決めた際にも、多恵子さんに「大阪に戻ることになったから」と電話を入れた。

「自分が最初に入ったチームがセレッソ大阪。セレッソ大阪がなければ、ここまでやれていなかったと思う。セレッソ大阪ですべてを学び、そこから移籍していろいろなことを伝えられるようにもなった。いろいろなチームを渡り歩き、またセレッソ大阪に戻してもらえたことに、感謝しかない」とのコメントにも大久保の義理堅さが垣間見える。

今回、悩みながらも11月16日に引退を決めると、19日にクラブが正式発表するまでに、母親や、家族ぐるみの親交を続けてきた多恵子さんをはじめ、かつてのチームメート、友人、知人らに連絡。律義で筋を通す大久保の人柄を知る森島社長は「本人は100件と言っているが、200件は連絡したんじゃないかな」と打ち明ける。

2人暮らしで家族との絆再確認

大久保にとって現役最後のシーズンとなった今年は、これまでの人生で味わったことのない体験の連続だった。妻と4人の息子の家族全員と離れて単身赴任するつもりだったが、大久保との生活を望む小学4年の三男がついてきた。

息子と始まった二人暮らし。昔から子煩悩で、練習休みの日に息子たちを連れてゲームセンターに行くなどしていた大久保だが、2人だけで暮らすとなると話は別。日々の練習とともに、料理や洗濯といった家事をこなし、学校からの連絡帳にもきっちりと目を通した。「これまでだったら面倒くさくてゴロゴロしていた。三男も自分のことを何もできなかったが、今はやらないといけない。こうやって2人で厳しい環境にいれば、成長していくんだと思った」と振り返る。

そうした生活を通じて再確認したのは、家族との絆ではないか。引退会見で「苦しい思いの方が強く、それを見せないようにと、ずっと思っていた。細い糸が一本ぎりぎりつながっている状態で、ずっとやっていた」と打ち明けた大久保は、周囲には「(引退を決断して)楽になった」と漏らしたという。よほど、肩の荷が重かったのかもしれない。多恵子さんは「寂しがり屋だから、家族と離れて暮らすのがつらかったのかも」とおもんぱかる。

今季はまだJ1リーグ戦が2試合と、準決勝に進出している天皇杯全日本選手権も残っている。J1の得点王のタイトルは3度獲得している大久保だが、チームとしてのタイトルはゼロ。天皇杯が最後のチャンスとなる。「セレッソ大阪のメンバー、スタッフと優勝して喜べたらいい」と大久保。そこで完全燃焼した後は、家族と一緒にゆっくりと体を休めてもらいたい。

引退会見の会場には親交のあるMr.Childrenやナオト・インティライミら著名人からの花が飾られ、息子たちの「パパ、20年間お疲れ様」とのメッセージも掲げられた。参加した報道陣約50人には一人一人に「ありがとう」と記されたメッセージカードと記念品が配られた。涙あり、笑いありの会見はクラブの公式YouTubeチャンネルでも配信された。

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