日本シリーズ 1995秘話

「だまし屋と嫌がらせ屋の対決」 開幕前日、野村・仰木両監督による会議は1時間の大舌戦

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高津監督は1995年の日本シリーズで胴上げ投手になった、左はミューレン
高津監督は1995年の日本シリーズで胴上げ投手になった、左はミューレン

ヤクルト・野村克也監督は1995年の日本シリーズを、オリックス・仰木彬監督との「安物のON対決」とたとえるとともに、「だまし屋と嫌がらせ屋の対決」とも表現した。だまし屋は捕手として打者をだまし続けた自身。嫌がらせ屋は仰木監督のことだ。

戦前から「イチローの弱点は内角」などとメディアを使って相手の中心打者に揺さぶりをかけ、開幕前日の監督会議ではさらにヒートアップ。例年はルール確認など20分程度で終わるが、この年はなんと1時間にも及んだ。当時のイチローは右足を大きく振る「振り子打法」で、ノムさんは「右足はベース付近まで踏み出している」「(打席の)ラインを消している。あれはいいのか」などと難癖をつけ、できる心理戦はすべてやった。

仰木監督もやられっぱなしではない。「ブロスの投球はボーク」とクレームをつけるなど応戦されると、野村監督は自分のことは棚に上げて「あれは完全に嫌がらせ。どうでもいいことをネチネチ、ネチネチ。ああいったところは三原さん(元西鉄監督)ソックリや」とボヤキまくった。

ともにパ・リーグ出身で同い年2人の大舌戦には前段がある。仰木監督は近鉄を率いて89年の日本シリーズに出場するに際し、解説者として活躍していたノムさんに頼み込んで対戦する巨人の情報を収集した。ところが92年に野村ヤクルトが西武との日本シリーズ前、逆に仰木監督に情報を求めると「西武に勝てるわけないでしょ。1つ勝てればいいんじゃないの? よくこんな戦力で優勝できたね。パ・リーグならBクラスだよ」とコケにされたという。

当時パ・リーグはテレビで試合が放送されることがほぼなく、交流戦もない時代。オリックスと初顔合わせとなった95年も、ヤクルトにはとにかく情報が不足していた。シリーズ合宿のミーティング初日には、イチロー対策だけで1時間半を費やした。2日目は主力打者、3日目は下位打線と控えの対策を行ったが、角盈男投手コーチは「わかるのはイチロー、田口ぐらい。馬場とか言われても、巨人の先輩のジャイアント馬場さんかと思ってしまう。名前を覚えないと」と真顔で言い出す始末だった。

それでもイチロー封じがはまり、4勝1敗の圧勝で日本一。92、93年に続き4年で3度目の日本シリーズとなるヤクルトはやはり、前身の阪急時代以来11年ぶり出場の敵軍より場慣れしていた。胴上げ投手は現監督の高津臣吾。3試合4イニングを投げ、1勝2セーブで優秀選手賞に輝いた。

一方、オリックス現監督の中嶋聡は初戦から先発マスクをかぶり、第3戦の9回には高津と対戦して四球を選んだが、勝利にはつながらず3連敗。第4戦から先発を外され、第5戦は出番がないまま悔しい終戦を迎えた。チームは翌96年に巨人を4勝1敗で下して日本一を達成したものの、中嶋の先発は1試合のみだった。今回の日本シリーズにより強い思いを持って挑むのは、オリックスの指揮官の方かもしれない。 (塚沢健太郎)=終わり

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