波瀾万丈の野球人生まっとう 古葉竹識さん

産経ニュース
古葉竹識氏(撮影・戸加里真司)
古葉竹識氏(撮影・戸加里真司)

広島でリーグ優勝4度、日本一にも3度輝くなど、指導者として輝かしい球歴を誇る古葉竹識(たけし)さんが12日、亡くなった。本人が生前語ってくれた野球人生は波瀾(はらん)万丈そのものだった。

1955年に専大へ入学し、野球部では1年からベンチ入りするが、家庭の事情で同年秋に中退。野球をあきらめきれず、門をたたいた福岡県の社会人野球・日鉄二瀬(にってつふたせ)での濃人(のうにん)渉監督との出会いが転機となった。

「お前は守備力と肩、足もある」と見込まれ、遊撃手として徹底的に鍛えられた。まだドラフトのない時代、「プロは試合に出てナンボ。一番チャンスがある」と濃人監督に勧められ、58年に広島入り。後に長嶋茂雄さんと首位打者を争うまでに成長した。

広島の監督就任もすんなりと決まったわけではない。南海(現ソフトバンク)の野村克也監督の下でコーチ修業し、74年に古巣へ復帰。翌75年、開幕早々に解任されたジョー・ルーツ監督の後任として球団から就任を要請された。まだ30代だったが、「自分の考えや言いたいことを選手へ伝え、成績を残せなければクビでもしようがない」と腹をくくったそうだ。

1年目で悲願の初優勝を遂げた。地元広島での優勝パレードでは、沿道のファンがたくさんの遺影を掲げる光景に「泣けた」と古葉さん。「チームを熱心に応援し、この日を迎えられなかった肉親にひと目パレードを見せてあげたかったのだろうと思うとね…」。

原爆で焦土と化した広島の復興のシンボルでもあったカープを勝てるチームへと育て上げ、一時代を築いた名将の名は球史に深く刻まれるに違いない。(三浦馨)

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