講談師・旭堂南龍 貪欲に「波」を追う西のホープ

産経ニュース

リズミカルな調子をつけ、臨場感たっぷりに歴史ものから怪談まで面白く読んで聞かせる伝統的な話芸「講談」。講談界の風雲児、神田伯山(はくざん)の登場で100年ぶりのブーム到来といわれる今、関西も続けと西のホープと期待されているのが、大阪生まれ大阪育ちの旭堂南龍だ。

きょくどう・なんりゅう 昭和55年6月4日、大阪府八尾市生まれ。近畿大卒。平成16年、旭堂南左衛門に入門し南青を名乗る。30年に上方講談界で27年ぶりの真打に昇進し、上方の名跡、南龍を襲名。令和元年に大阪市の「咲くやこの花賞」を受賞。上方伝統文化芸能ユニット「霜乃会(そうのかい)」の会長を務める。
きょくどう・なんりゅう 昭和55年6月4日、大阪府八尾市生まれ。近畿大卒。平成16年、旭堂南左衛門に入門し南青を名乗る。30年に上方講談界で27年ぶりの真打に昇進し、上方の名跡、南龍を襲名。令和元年に大阪市の「咲くやこの花賞」を受賞。上方伝統文化芸能ユニット「霜乃会(そうのかい)」の会長を務める。


格好良く、きれいに

「浅野浪士が永(なが)の艱難(かんなん)辛苦、お恨み晴らす屈強の時と喜び勇む同じ心も袖印(そでじるし)、打ちたつ時刻丑(うし)三つの太鼓もろとも乗り込んで…」(『赤穂義士伝』より)

滔々(とうとう)と語る独特のリズムに耳が慣れてくると、赤穂浪士の討ち入りの情景が頭の中にぶわっと立体的に浮かび上がってきた。

近頃講談といえば、伯山の「パパン」と張り扇(おうぎ)で釈台を何度もたたく派手なスタイルが有名だが、南龍はそれとは好対照の芸風。

「張り扇は戦の始まりなど『ここぞ』という場面でだけ効果的に打ちます。あとは、寝ているお客さんを起こすときかな」と笑う。

柔らかい端正な語り口でゆっくりと丁寧に聴衆を引き込む。「ずっと聴いていられる、格好良くてきれいな講談」が信条だ。


十代のころの夢は落語家だった。ところが大学3年のとき、親交のあった桂春蝶の一言が転機となる。

「落語家は人数が多いしやめた方がええ。君、大学で『落語講談研究会』に入ってるんやろ? それやったら講談はどうなん」

正直なじみがなかったが、高校時代に伝統芸能の授業で一度だけ講談会を見た記憶がよみがえった。

「三代目旭堂南陵の『長短槍試合』が大爆笑だった。『講談って面白いんや』と感じたのを思い出したんです」

南左衛門「お紺殺し」との出会い

落語家か講談師か。迷っていたとき、南陵の弟子、旭堂南左衛門による怪談「お紺殺し」と出会う。

紀州屋治右衛門という男が捨てた恋人のお紺を川に沈めて殺す凄惨(せいさん)な場面だ。

「棒杭で打って沈められたお紺が水中で苦しみ『がばがばがばぁ…』。力尽きたかと思ったら、しばらくして再び『がばがば!』。それがあまりにリアルで、笑いにいった寄席で講談だけが強烈に残りました」

平成16年3月、大学の卒業式後に南左衛門宅を訪ね、弟子入りを志願した。

意外にも南左衛門は「じゃあ今日から弟子入りということで。これも縁やから」と快諾。翌日南龍を家に呼び、「この時代に講談界に身を投じようとは、青雲の志がある。いつか青龍になれるように」と言って「南青」の名前を授けた。

憧れの講談師となり舞い上がったが、すぐに師匠の言葉の意味を知ることになる。当時の講談は人気も人数も絶滅危惧種に指定されんばかりの寂しい状況。想像以上の試練が待ち受けていた。

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