姿現した500年前の遺構 千葉・多古で初の「お城開き」

産経ニュース
山城の整備を終え、「物見台城跡」の標柱を立てる有志=6日、多古町南中
山城の整備を終え、「物見台城跡」の標柱を立てる有志=6日、多古町南中

千葉県多古町で、山城の保全とその活用による地域活性化を進める多古城郭保存活用会は、山城観光に適した季節の到来を記念する「お城開き」イベントを初めて実施した。同町南中の物見台城跡で、城好きの有志ら約50人が切られた木の除去などの整備を行うと、約500年前の遺構が姿を現した。

「日本初のお城開き。その発祥が多古町となった記念すべき日だ」。活用会の小室裕一事務局長は6日、こう宣言した。

城というと天守閣を備えた建築物を思い浮かべる人が多いが、中世の山城は、土で作られた防壁である土塁や、水のない空堀などの遺構が残っているだけ。夏は下草が生い茂り、遺構の存在が分かりづらい一方、11月~翌年5月が〝見ごろ〟となる。このため、海開きのように最適な季節の始まりを明示することで、山城の観光活性化につなげる狙いがある。活用会では毎年、この時期に同町でイベントを開催する考えだ。

初のイベントは、町内にある物見台城跡の整備。現在も多古米で知られるように、多古町は古来からコメの生産が盛んだった。肥沃(ひよく)な土地の奪い合いが激しかったからか、町内には30以上の山城が確認されている。物見台城は15世紀に建てられたとされ、室町時代に関東で起きた享徳の乱(1455~83年)に端を発した豪族、千葉氏の内紛でも、勢力争いの舞台の一つになったとみられる。

名前の由来となった物見台が置かれていたとみられる盛り土のほか、切り立った崖と土塁に挟まれた曲輪(くるわ)の遺構が残る。曲輪は普段、城を行き来する回廊として使われ、攻められたときは誘い込んだ敵兵を土塁の上から矢で狙撃し、殲滅(せんめつ)するという防御の役割も果たしていた。

しかし、長い年月を経て草木が育ち、藪に覆われていた。今回の整備ではまず、活用会のメンバーがチェーンソーなどで大きな木を切り倒した。その後、インターネットでの募集に応じた有志30人ら約50人が合流。切られた木を運び出したり、崖の下に落としたりして整備を進めた。数時間後、緩やかなカーブを描いた曲輪の存在が鮮明に。有志らは、「物見台城跡」と書かれた標柱と説明板を立て、観光で訪れる人が約500年前の遺構を楽しめる状態にした。

整備に参加した千葉市の会社員、野村有俊さん(47)は、「遺構が見やすくなって充実感を感じた。同様のイベントをまたやってほしい」と話した。

7日には隣の匝瑳市でも城郭保存活用会が設立され、記念講演会が開かれた。山城に詳しく、歴史講座などの活動をしている山城ガールむつみ(本名・宇野睦)さんは講演で、「中世城郭は全国に数多くあり、そのファンも多い。これを積極的に利用し、観光にも活用することで、まちづくりを行っていくべきだ」と強調した。(高橋寛次)

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