足袋を履き、2キロのダンベルを持って48キロの山道を走る。それも毎日―。プロ野球選手なら誰しも猛練習した過去を持っているが、これを聞いたときは耳を疑った。今季で現役を引退した巨人・野上亮磨投手(34)が土台を築き上げた高校時代の話だ。
「走ったら走った分だけ金になるから、走っておけ」
2005年にセンバツ初出場で準優勝した鹿児島・神村学園高時代、当時監督だった長沢宏行氏(現・創志学園高監督)からかけられた言葉を、野上はプロ13年目の今でも胸に刻んでいる。高校時代は毎朝と夜に8キロジョギングし、200メートル、100メートルのダッシュ×10本をこなすのが日課だった。
地獄を味わったのが、冒頭の山越えだ。冬の和歌山で約1週間の合宿中。毎日2つの山を越える往復48キロを、12キロごとに屈伸1000回など体幹トレーニングを挟みながら走った。「しんどいなんてもんじゃなかった。でも、あれがあったからその後の自分がある」。超過酷な特訓で芽生えた信念を胸に、プロ入り後も走り込みを欠かさなかった。
西武で先発投手として活躍し、FAで巨人移籍後の2019年10月に左アキレス腱を断裂。手術と長いリハビリを経た今季は、5月に中継ぎとして最後の一花を咲かせた。最終的には右肩の故障で引退を決めたが、現役晩年で大けがから復活した不屈の精神は、ファンの心に響いたはずだ。
野上がファームで過ごした昨年は時折見ることしかできなかった。記者に会うたび「のんびりやっているよ」と言いながら、熱心にリハビリや練習に励んでいることは周囲から耳にしていた。
2軍で過ごした今春の宮崎キャンプでは、他の投手が引き揚げる中、ひむか球場の一塁側席の階段を約1時間、ひたすら昇り降り。のちに球団公式YouTubeにもアップされたその姿に、2軍関係者が「毎日一人で黙々と走っていた。今年に賭ける思いの強さを感じた」と感心していた。熱いハートを内に秘める選手だった。
「親身になってサポートしてくれたトレーナーや病院の方々のためにも、もう一度1軍で投げたかった。いろんな人への感謝を最後に結果に出せてホッとした。もう悔いはなくなりました」
スッキリとした表情で臨んだ引退会見では、決断前に家族に相談した場面を明かした。1歳の次男に「パパ、投げる仕事(投手)続けた方がいいかな?」と聞くと、「アイアンマン!!」と元気のいい声が返ってきたという。ハマっているスーパーヒーローの名前を叫びたかっただけだろうと野上は笑ったが、屈強な心身で戦ったパパは、まさに〝アイアンマン〟。いつかそれを知る日が来るだろう。(谷川直之)