よみがえるマエストロ 朝比奈隆の世界

大フィルの練習所は30年間、扇町公園のプールの地下だった「最初に中をのぞいたときは面食らった」

 朝比奈隆が関西交響楽団(現大阪フィルハーモニー交響楽団)を創設したのは終戦後の1947年。当初は大阪中央放送局(現NHK大阪放送局)の専属だったが、50年に大阪銀行(現三井住友銀行)頭取の協力で独立した。しかし演奏会収入だけで大所帯をまかなうのは困難だったので、映画音楽の録音をレギュラーに入れた。

 「京都の太秦で深夜に録音をして、旅館で仮眠。一番電車で帰り、演奏会の練習、本番といったハードスケジュールでした。収益の約6割を占めてましたからね。公演数も多くて、52年は年間289回、そのうち朝比奈は226回振っています。地方にも随分行きました」と楽団顧問の小野寺昭爾さん。56年から朝比奈が亡くなるまで、途中ブランクはあるが行動をともにし、今はオケの資料整備に精を出す。

 60年に大フィルに改組して映画録音がなくなると、朝比奈の手腕は財界に広く及んだ。「いつも『お金の心配はするな』と言って、実際、給料の遅配欠配は一度もなかったです」と事務局長の福山修さん。小野寺さんも黙ってうなずく。

 大阪の楽団を育てたい朝比奈の真っすぐな思いや明るく社交的な人柄が、地元企業のリーダーの心をも熱くしたのだ。

 楽員とのコミュニケーションも大切にしていた。91年に南海本線天下茶屋駅近くにホール併設の大フィル会館ができるまで、練習所は約30年間扇町公園のプールの地下だった。<page/>

 当時私は、公園で弁当やサンドイッチをほおばりながら練習を聴く「大フィルランチ」を記者友達と楽しんでいたが、最初に中をのぞいたときは面食らった。倉庫同然の空間の中央に太い柱が数本。死角だらけで雨漏りもしていた。

 しかも楽員が「おっさんからラブレター来たんや」とか言っている。「おっさんは、朝比奈さんのことやで」と友達に耳打ちされビックリ! 他に「親父」「親方」「御大」なんて呼び方も。

 「普段の稽古のときは録音をして、帰宅後聞いて、要求があるとメモ書きして各自に手渡していたんです」と小野寺さん。これがラブレターの正体。マメさに感服。後日、ベテラン楽員に恐る恐る「何でオッサンて呼ばはるんですか」と尋ねたら、間髪入れず「おっさんはおっさんや~」と返ってきた。「大フィル恐るべし」であった。 (原納暢子)

 ■朝比奈隆(あさひな・たかし) 1908年7月9日~2001年12月29日。93歳没。

 FM大阪では10月24日午後7時から、特別番組「マエストロ朝比奈隆 永遠なれ!メモリアルアーカイブスペシャル」を放送。大阪フィル40周年の1987年、朝比奈&オケの足跡を本人や辻久子、山下洋輔らの証言と名演奏を交え、3代目桂米朝の語りでつづった貴重な番組。11月3日正午からは常翔ホール(大阪市北区)で記念イベント「マエストロ朝比奈隆 永遠なれ!~没後20年メモリアル~」が開催される。資料展示やシンポジウム、大フィルコンサートも。

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