うつりゆく瞬間とらえた 展覧会「印象派・光の系譜」

産経ニュース
クロード・モネ《睡蓮の池》1907年 油彩/カンヴァス イスラエル博物館蔵 Photo © The Israel Museum,Jerusalem
クロード・モネ《睡蓮の池》1907年 油彩/カンヴァス イスラエル博物館蔵 Photo © The Israel Museum,Jerusalem

東京・丸の内の三菱一号館美術館で開催中の「印象派・光の系譜-モネ、ルノワール、ゴッホ、ゴーガン」(産経新聞社など主催)は、イスラエル博物館が誇るコレクションの中から、印象派とポスト印象派の名品をまとまった形で紹介する日本初の展覧会だ。出展69点の大半にあたる59点が初来日。中でも印象派の巨匠、クロード・モネ(1840~1926年)の「睡蓮(すいれん)の池」は、有名な連作の中でもとりわけ奥深い重要作という。

モネ後半生の代表作「睡蓮」。モネ研究で知られる同館の安井裕雄・上席学芸員によると、睡蓮の池を描いた彼の作品は計308点確認されているという。もっとも、完璧主義の画家は気に入らない絵を容赦なく破壊したため、実際には500点以上描いたのではとみられている。

「ワインに当たり年があるように、絵画にも特に豊穣(ほうじょう)な年がある」と安井学芸員は指摘する。初来日の「睡蓮の池」は、まさに睡蓮連作の〝当たり年〟と評される1907年に描かれたものだ。

モネ86年の生涯のうち、後半の43年間を過ごしたのが、パリから70キロ離れたノルマンディー地方の小村、ジヴェルニー。自邸の庭造りに没頭した画家は、川から水を引いて池を造成。屋敷前の「花の庭」と対を成す「水の庭」として睡蓮を栽培し、浮世絵に見るような太鼓橋をかけた。睡蓮の絵画が登場した1897年以降、それは汲(く)めども尽きない創作の源泉となった。

初期の連作には太鼓橋のある池の風景を描いていたが、やがて水面だけが画面を覆ってゆく。反射や光の戯れを画家は飽かずに見つめ、時間帯や天候、季節ごとに変化する様相をとらえていった。

1907年夏、66歳のモネは睡蓮の絵だけを展示する個展を構想し、精力的に制作した。実際、09年にパリのデュラン=リュエル画廊で開かれた個展には、過去6年間で描きためた睡蓮の連作48点が並び、大反響を巻き起こしたという。特に07年に描いた縦長の作品群は画家会心の作で、その一つが「睡蓮の池」だ。

夏の日差しが反射する水面には空と雲、ポプラやしだれ柳といった周辺の木々が映り込み、睡蓮の花が浮かんでいる。藻らしきものが揺れる水中も描き込まれ、すべてが一画面に溶け合う。なんと重層的で豊かな世界だろう。

「睡蓮」以前にも「積みわら」「ルーアン大聖堂」など同じモチーフを繰り返し描いたモネだが、彼の関心は特定の物体というより、光の移ろいや大気・水の動きといった形なき一瞬にあったのだろう。三菱一号館の会場では、イスラエル博物館の「睡蓮の池」と同じ07年に同構図で描かれた別バージョンとして、DIC川村記念美術館(千葉県佐倉市)と和泉市久保惣記念美術館(大阪府)が所蔵する2つの「睡蓮」も特別展示。さらに11月30日からは東京富士美術館(東京都八王子市)が所蔵する翌08年の「睡蓮」も紹介予定なので、ぜひ見比べてほしい。

その後、モネは白内障による目の不調に悩まされ、「睡蓮」はますます明確な形態を失い抽象的になってゆく。が、画家の執念はすごい。80歳を過ぎて手術で視力をやや取り戻すと、「睡蓮」の集大成として、後にパリのオランジュリー美術館に収められる大装飾画を完成させた。この最晩年の大作に至る重要な節目としても、新しい構図や表現に挑んだモネの07年は豊穣の年だったと言える。

本展は印象派・ポスト印象派だけでなく、その先駆けとなったクールベやコロー、あるいは印象派に影響を受けつつ独自の表現に至ったナビ派、さらにドイツの都市風景を印象的に描いたレッサー・ユリィの作品も紹介し、「光の系譜」をたどっている。

(黒沢綾子)

令和4年1月16日まで。月曜(11月29日と12月27日、1月3、10日は開館)と年末年始の12月31日、1月1日は休み。問い合わせはハローダイヤル050・5541・8600へ。

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