1995-戦後転換点の年、九州の風雲児『博多 一風堂』東都へ出陣

SankeiBiz

変わらないために変わり続ける ラーメン運動体としての魅力

1994年に新横浜ラーメン博物館に出店し、全国区の知名度を得た『博多 一風堂』。2021年現在は国内に約150店、海外に約300店のネットワークを誇る大ラーメン企業だが、東京での第一歩は、恵比寿店から踏み出された。ここで時計の針を戻し、創業者の河原成美が東都に進出するまでをダイジェストで紹介しよう。河原は1952年福岡県生まれ。1979年、わずか5坪のレストランバー「アフター ザ レイン」から飲食業に参入する。

ラーメン店での修業と全国の食べ歩きを経て、1985年には福岡市の大名にラーメン店『博多 一風堂』を開店。「汚い、臭い、怖い。女の子だけでラーメンを食べるなんて恥ずかしい」というイメージが強かった時代。河原は「女の子が気軽に入れる、かっこいいラーメン店を作りたい」という思いがあった。

分厚い木のカウンターに、墨痕鮮やかな店看板と麻の暖簾。BGMにはモダンジャズを流し、唐津焼の器でラーメンを提供した。当時のラーメン店のイメージを覆す、シックで清潔な店づくりが客をつかみ、若い女性も暖簾をくぐる。味づくりも真摯だった。スープを残した客がいたら後を追い、「どこが悪かったんですか」とたずねてフィードバック。試行錯誤を経て、豚骨スープもブラッシュアップを重ね続けた。

工夫を重ね、差別化を目指したのは寸胴の中だけではない。創業当時、250円~300円が相場だった博多のラーメンシーンで400円という価格で勝負。プライスリーダーとしてシーンを先導する姿勢を明確に打ち出す。コンセプトづくりも斬新だった。恵比寿店を開いたのは一風堂の創業から10年の節目だが、そこで開発したのはラーメンらしからぬネーミングの「赤丸新味」「白丸元味」。

辛子味噌で豚骨スープのシルエットを明確にする赤丸、豚骨ならではのコクをなめらかに届ける白丸で、ラーメンの概念を再構築。河原は創業期を「ラーメン界の端境期だったんですよ、80年代半ばは。だから新参者のぼくがやったことがどんどん形になった」(AERA 2008年7月28日号)と振り返っている。彼が起こしたのは、旧態依然とした業界をクリアにする一陣の風だった。

河原は後進の店主から「商売人と職人のハイブリッド」と畏敬されている。彼が台頭した90年代初頭は、料理業界に「スターシェフ」が待望された時代だ。1993年にはフジテレビ系で『料理の鉄人』が放映開始。60分1本勝負で和食、フレンチ、中国料理、イタリアンのスター料理人「鉄人」がさまざまなバックグラウンドのチャレンジャー料理人と異種料理バトルを繰り広げた番組だ。そんな「アルチザン待望論」の流れに乗り、河原はラーメン職人として名声を高めていく。

河原は1997年に放映された『TVチャンピオン 第2回全国ラーメン職人選手権』(テレビ東京)に出場。豚骨スープと和風ダシをミックスし、スルメイカチャーシュー、天ぷら風ホタテ、ラーメンダレで焼いたアワビなど、決戦地である北海道の魚介をふんだんに用いた創作ラーメンで栄冠に輝いた。

翌年の第3回では豚足のゼラチンを注射器で注入したチャーシュー、牛骨やアゴ、昆布とカニ、豚骨をブレンドしたスープを駆使して二連覇。さらに第4回は「ビーフコンソメのチーズフォンデュ風味」のクロスオーバーラーメンを掲げて優勝。この三連覇により、ラーメン職人としての技量を存分に世に知らしめた。

番組を通し、河原は「全国のラーメン屋のみんな、がんばろうぜ」とアピール。個店として商圏、ご当地内で勝負していた店主たちに東京、そして世界に続くメジャーマーケットへの挑戦をメッセージした。時代に即したハイスペックなメニューを開発する職人として立ち、マーケティングに目配りする経営者としても走っていく。河原が提示した店主像は、その後に続くカリスマ店主のモデルとして、今なお強い光を放ち続けているのだ。

ここで再び1995年に戻ろう。同年の経済白書は「日本経済のダイナミズムの復活を目指して」と副題がつけられ、バブル崩壊からの回復基調を目指す姿勢を鮮明に打ち出した。しかし、当時の自社さ政権は「財政危機宣言」を出し、歳出削減を基本姿勢に。その後の日本経済はシュリンクを続け、経済成長のダイナミズムは今なお復活していない。

では、東都進出でブレイクした一風堂・河原成美は-? 一風堂グループは力の源ホールディングスとして2017年に東証マザーズへ上場。事業として大きなブレイクスルーを果たしている。だが、2021年には恵比寿店、そして大名本店もフルリニューアル。創業当時の原点に立ち返ると宣言し、河原自身も厨房で麺を上げるという現場主義を強く打ち出している。

混迷が続き、なお不確実な未来を前にしているニッポン経済。常に立ち返るべき原理・原則を持ったビジネス集団は強い。「変わらないために変わり続ける」とは、河原が座右の銘とするメッセージだ。福岡から恵比寿に巻き起こり、今や世界にまで吹く一陣の風に学ぶことは多い。

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