話の肖像画

出井伸(14)歴代社長の夢をデジタルでも

産経ニュース
社長就任会見で決意を語る出井伸之氏(右)。左は大賀典雄氏=平成7年3月、東京・丸の内(ソニーグループ提供)
社長就任会見で決意を語る出井伸之氏(右)。左は大賀典雄氏=平成7年3月、東京・丸の内(ソニーグループ提供)

《平成7年1月、大賀典雄社長から後継に指名される。日本はバブル経済崩壊後の長期低迷に突入した時期だった》


社内シンクタンクの活動の一環で、「10年後のソニー」などのリポートを社内のキーパーソンに配り、インターネットの普及を見据えた変革の必要性を訴えてきました。その作業を通じて、僕はソニーを取り巻く経営環境の厳しさを実感するようになったのです。

ソニーは翌年に創業50周年を控えていました。町工場から出発し売上高4兆円の国際的な企業に成長したものの、そのころは〝六重苦〟を抱えていました。

マクロ経済の環境面では、バブル景気崩壊後の経済低迷と1ドル=80円を割り込むところまで進行した歴史的な円高に悩まされていました。

経営面も問題がありました。まず、映画会社買収などの積極的投資に伴う膨大な有利子負債を抱えてバランスシートが傷んでいました。さらに買収した企業の統合作業の混迷、ソニー・アメリカの乱脈経営、東芝陣営とのDVDのフォーマット戦争でも苦境に立たされていました。

「次の社長は苦労するだろうな」。こう考えていたところへ突然、大賀さんから「次の社長は君だ」と指名されたのです。

僕はその場で固辞したわけですが、心の中ではずいぶん葛藤しました。井深大さんの技術、盛田昭夫さんの国際化、岩間和夫さんの半導体、それに大賀さんのミュージック。「4人それぞれの夢をデジタルの時代に書き換えて、次の世代に引き継ごう」と考えて覚悟を決めました。


《社長就任への備えを始める》


内示があってから、人事を正式に決めて外部に公表するまで、およそ2カ月しかありませんでした。

僕はまず、最高相談役となっていた井深さんのご自宅にあいさつに伺いました。井深さんはそのころすでに病床に伏していたのですが、きちんと正装して出迎えてくださいました。

「ソニーの社長をお迎えするのだから、当然ですよ」。井深さんはこう言って、上機嫌で僕の肩をポンとたたきました。同じ早稲田大学出身の僕が社長となることを喜んでくださったようです。

大賀さんからの社長の業務の引き継ぎと並行して、記者会見への準備も進めました。一挙に14人の先輩方を追い越すことになるため、世間の注目を集めることは十分予想されました。

参考にしたのが、松下電器産業(現パナソニック)でした。松下でも昭和50年代に、若くして社長に抜擢(ばってき)された方がいたのを思い出したのです。そこで、秘書に図書館に行って新聞の縮刷版でそのときの記者会見でどんな質疑応答があったかを調べてもらいました。


《ソニーは臨時取締役会を開き、約13年ぶりのトップ交代を決議した》


3月22日に大賀さんは会長兼CEO(最高経営責任者)に、僕が社長兼COO(最高執行責任者)に4月1日付で就任することが決まり、東京・丸の内のパレスホテルへ行き、記者会見を開きました。

「どうして本命と目されていた人ではなく、出井さんを次期社長に指名したのか」「営業畑出身者にソニーの社長が務まるのか」など、集まった記者からはさまざまな質問が出ました。隣で大賀さんが回答に苦慮され、「消去法で出井君を選んだ」とか、「すべて出井君一人でできるとは思わない」と発言される場面もありましたが、事前の準備が功を奏し、おおむね想定した通りに対応することができました。(聞き手 米沢文)

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