話の肖像画

出井伸之(10)盛田さんの夢…80年代の日本を象徴する華

産経ニュース
ソニー・ピクチャーズエンタテインメントの正門。ソニーは米映画大手を買収しハリウッドに進出した =1996年、米カリフォルニア州(ソニーグループ提供)
ソニー・ピクチャーズエンタテインメントの正門。ソニーは米映画大手を買収しハリウッドに進出した =1996年、米カリフォルニア州(ソニーグループ提供)

(9)にもどる

《昭和61年、レーザーディスク事業部長となる》


レーザーディスク事業部は、本社から少し離れたところにあるビルを間借りしていました。ソニーの中では小さなベンチャー企業のような存在でした。

後発参入したソニーとしては、片手間の事業部だったかもしれませんが、僕から見れば、ひとつのベンチャーを任され、売り上げ100億円規模を守らないといけなかったわけなので、いい経験になりました。

当時のレーザーディスクはパイオニアが社を挙げて事業を展開していて、VHDという他の規格と競争していました。僕はパイオニアに毎週通って、規格競争に勝つための戦略の議論をしていました。


《レーザーディスク事業を通して華やかなハリウッドの世界に足を踏み入れる》


レーザーディスクに入れる映画作品の権利を取り、規格競争に勝つため、初めてハリウッドにも行きました。いくつかのスタジオに足を運び、スティーブン・スピルバーグ監督や「E.T.」のプロデューサーのキャスリーン・ケネディさんとも知り合うことができました。

ハリウッドで学んだことは、著作権など知的財産権に対する厳しさです。スタジオの玄関で写真を撮っただけで警備員に制止され、他人の庭のように感じました。まさか、その後にソニーがスタジオを買うことになるとは思いもよりませんでした。

ハリウッドを訪れて、彼らが映像作品をどういう仕組みで販売しているのかに興味を持ちました。

ソニーのハードビジネスは、モノを作り、それを売っておしまいの売り切りモデルだけでした。ハリウッドは映像作品というモノを作っていますが、それを映画配給して、その後でその作品の放映権をテレビネットワークに売ったり、レーザーディスクなどの形にする権利をまた売る。著作権ビジネスと呼びますが、一回のモノ作りから利益が出続けるというのはなかなかいいなと感じました。著作権のような「無形資産」の重要性を感じ始めたのはこの時でした。

ソニーのようなハードを作っている会社が映像に関係するレーザーディスクなどの新しい技術を開発すると、ハリウッドは過去に作った映像作品で新たな収入を得られるわけです。僕はハードとソフトの二つが段々結びついてきたと感じ、ハリウッドとの連携の可能性を考え始めました。


《バブル景気真っただ中の平成元年、ソニーは米映画大手コロンビア・ピクチャーズ・エンターテインメントを買収する。日本企業による〝ハリウッド侵略〟に、米国内では反感も根強かった》


会長の盛田昭夫さんの最終判断でしたが、僕は内心は反対でした。当時は携帯電話会社が大きく伸びていたので、同じお金でソニーを強くするならモトローラを買収したらいいのではないかと思っていました。

盛田さんは映画が大好きで、よく一緒に見たんですよ。「プリティ・ウーマン」を見たときは、恋愛映画としてみた僕が「女性って怖いですね」と話しかけたら、盛田さんは「いやー、投資というのは面白いね」と言って、映画の中でリチャード・ギアが手がけていた企業買収に興味を持っていました。同じ映画を見ても、感想がまったく違うので面白かったですね。

盛田さんはソニーを国際的に大きくする夢を持っていて、昔から常に米国に目を向けていました。パンナム(米国の航空会社)などの社外取締役もされていましたし、盛田さんが1980年代の日本を象徴する華だったのは間違いありません。(聞き手 米沢文)

(11)にすすむ

  1. 愛子さまご成年 3種類のドレスご着用、「ティアラ」で正装も

  2. コロナ禍で分かった会社の「無くてよかったもの」 「社内イベント」や「定時勤務」を抑え1位になったのは?

  3. 広島・長野、約8000万円の超高級車で球場入り「最高です」

  4. 市から突然1300万円請求…なぜ? 年金生活の80代女性に 専門家「今後数年で同様の高額請求を受ける人は増える」

  5. 【底辺キャバ嬢の盛り場より愛を込めて】困窮女性の大量参入で「ヤバいパパ」が急増 シャワー浴びてる間に財布からお金を盗み逃走