昭和歌謡の職人たち 伝説のヒットメーカー列伝

酒井政利(1) 演歌・歌謡が主流の60年代…“青春アイドル路線”作りたくてもがいていた

酒井さんは伝説のアイドル、山口百恵も育てた
酒井さんは伝説のアイドル、山口百恵も育てた

 時代の流行歌、10代のアイドル路線を築かれ、数多くのヒット曲をプロデュースされた酒井政利さんが7月16日に亡くなられた。

 酒井さんが手がけた大ヒット1号は、前の東京オリンピックが開催された1964年、青山和子が歌う『愛と死をみつめて』だった。作詞・大矢弘子、作曲・土田啓四郎でくしくも東京オリンピック年が重なった。

 この歌の原点は63年の同名ベストセラー。難病に冒されて21年の生涯を閉じた大学生、大島みち子さんと恋人の河野實さんの文通をもとにしている。酒井さんはこの本を手にして、レコード化の権利を取ったのだ。そして、第6回日本レコード大賞を受賞される快挙を果たした。

 酒井さんは大学を卒業すると映画会社の松竹に入社。しかし、当時の映画界は斜陽の兆しで、とても勢いを感じることができず、時を経ずに退職すると、老舗日本コロムビアに入社した。このあたりの判断、実行力もすごいものがある。

 当時のコロムビアは歌手は美空ひばり、島倉千代子、北島三郎ら、作家陣も古賀政男、藤原洸、西沢爽、船村徹らの専属作家を抱えていた時代。60年代にひばりのシングル盤は80枚近く発売されている。つまりは大人向けの演歌・歌謡が主流であった。

 『愛と死をみつめて』を狙い通りヒットさせた酒井さんは、若い世代をテーマにした路線を作りたくて、もがいていたのではないか。老舗の会社では新しい音楽シーンを積極的に進めたくても容易ではない。63年には内紛が起き、主要制作陣が抜けてクラウンレコードを立ち上げていた。

 そんな流れの中で追い風が吹いた。それは68年にCBS・ソニーという新しいレコード会社に導かれたことだ。すべてがイチからのスタートだった。酒井さんも会社組織で働く人間である。会社の主体性に合致することは大きな支えになる。

 ソニーはハードとソフトの両輪がかみ合い、水平思考で新しいものを生む最良の環境だった。酒井さんは自身の仕事の背景もしっかり見据える深謀遠慮の人である。

 71年に南沙織、72年に郷ひろみ。73年に山口百恵をデビューさせ、相次いで大ブレークさせた。10代の青春アイドル路線の順風な船出であった。

 ■酒井政利(さかい・まさとし) 南沙織、郷ひろみ、山口百恵、キャンディーズら300人余をプロデュースし、売上累計は約8700億円。『愛と死をみつめて』『魅せられて』で2度の日本レコード大賞を受賞した。2020年度文化功労者を受章。21年7月16日、85歳で死去。

 ■篠木雅博(しのき・まさひろ) 株式会社「パイプライン」顧問、日本ゴスペル音楽協会顧問。1950年生まれ。東芝EMI(現ユニバーサルミュージック)で制作ディレクターとして布施明、アン・ルイス、大塚博堂、五木ひろしらを手がけ、椎名林檎や石嶺聡子のデビューを仕掛けた。2010年に徳間ジャパンコミュニケーションズ代表取締役社長に就任し、リュ・シウォン、Perfumeらを輩出してきた。17年に退職し現職。

zakzak

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