「青天を衝け」外伝 渋沢栄一と女性たち

才覚あり聡明な後妻・伊藤兼子 「『妾生活』は断固拒否!『自分の腕』で生きていく」

 伊藤兼子は、渋沢栄一の後妻である。先妻の千代がコレラで死去したのが明治25(1882)年。兼子との再婚は、翌26(83)年のことだった。最愛の妻を亡くして再婚まで1年。余計な話だが、ちょっと早い気もする。だから、そのいきさつを少し詳しく(=もっとも、陸奥宗光は再婚まで、わずか3カ月だったけれど…)

 兼子の父は伊藤八兵衛。栄一と同じ、武蔵国出身である。栄一は深谷(現・埼玉県深谷市)だが、伊藤家は川越(現・同県川越市)だった。兼子は八兵衛の次女である。八兵衛は油を取引する油会所を設立して大成功。「江戸一番の大富豪」と呼ばれるまでになった人物である。

 そんな大金持ちを父に持つ兼子は「婿養子」をとり、実家を継いだ。次女が跡を継いだのは、八兵衛には女子が4人いたからだ。それにしても、「なぜ、次女が跡継ぎに?」とお思いだろう。これについては、彼女の才覚や聡明(そうめい)さがそうさせたと思うばかりである。

 八兵衛はその後、米国商人との共同事業に失敗し、伊藤家は大没落してしまった。そのことと関係あるのかは判然としないが、兼子は夫と離婚してしまう。実家は没落、夫とは離婚。まさに八方ふさがりの彼女。

 しかし、ここからが彼女の真骨頂だった。兼子の次の逸話は有名である。

 「実家もない。夫もいない。でも、自分はこうした中でも生きてみせる。それも自分の力で生き抜いてみせる。どんないい話でも『妾生活』は断固拒否! 『自分の腕』で生きていく。芸者? 上等じゃあないの」

 彼女は「口入れ屋(=職業周旋業者)」に行き、「そういうわけだから、その段取をよろしく」と頼むのである。

 栄一から「妻の病死に伴い、家の手伝いをしてくれる人を紹介してくれ」と、その口入れ屋に照会があったのは、まさにそんな時だった。口入れ屋からその話を聞いた兼子は二つ返事で渋沢家に行き、そのままそこに居つき、後妻になった。

 前妻、幼なじみの千代も、もちろん、栄一は愛した。栄一が徳川慶喜の弟、昭武に随行して渡仏したときも、日本で必死に家を守る千代に何通も手紙を書いている。「返事をくれ」と懇願もしている。昨日ご紹介したのも、その「返事の一つ」だが、栄一の手紙に、こういうのもある。

 元治元(1864)年秋の手紙。

 「あい別れ候よりは一度も婦人狂い等も致さず、全く、国の事のみ心配致しおり申し候間…」

 この時は実際そうだったのだろう。慶喜の名代、昭武の出納全般の責任者として、異国で毎日身を切る思いの日々だったのだろうから。

 でも、生涯における栄一の「婦人の接し方」は相当華やかだった。認知された子供たちは、2人の妻以外の子も含めて全部で12人。そこには、栄一の渡欧に際し、渋沢家継承の上で万一のためにと見立て養子になった千代の弟、平九郎も含まれてはいるが(=平九郎の妻は栄一の妹、てい。平九郎は飯能戦争で自刃)。

 ■松平定知(まつだいら・さだとも) 1944年、東京都生まれ。早稲田大学を卒業後、69年にNHK入局。看板キャスターとして、朝と夜の「7時のテレビニュース」「その時歴史が動いた」などを担当。理事待遇アナウンサー。2007年に退職。現在、京都芸術大学教授などを務める。著書に『幕末維新を「本当に」動かした10人』(小学館101新書)、『一城一話55の物語』(講談社ビーシー)など多数。

zakzak

  1. 「いちゃもん、うっとうしい」吉村知事が枝野氏を痛烈批判

  2. 【衆院選2021年秋】与野党“落選危機リスト”大物・著名候補28人 東京18区・菅直人氏が大接戦 大阪は三つどもえ 岩手3区・小沢一郎氏は高齢も意気軒昂

  3. 子供の病気やけがつくり出す「代理ミュンヒハウゼン症候群」 専門家「多くの誤解」指摘「小児に関わる医療者が意識を」

  4. 小泉進次郎氏「妻に申し訳ない」 クリステルさん名義の巨額資産公開で

  5. 「枝野さん、議論しろよ」 安倍前首相が憲法シンポで改憲議論呼びかけ