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出井伸之(2)学者の父、母は洋裁店 大連で迎えた終戦

産経ニュース
経済学者だった父、盛之さん(左)と中国・大連で
経済学者だった父、盛之さん(左)と中国・大連で

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《5人きょうだいの末っ子。姉3人のほか、兄の譲治さんは16歳のときに病気で亡くなった。子供を失った夫婦の下に昭和12年、待望の男の子として生まれた》


両親は子供を亡くした恐怖心からか、僕をものすごく大事に育ててくれました。「危険なことは一切させない」という感じで、子供のころはまるで警察に見張られているかのような毎日でした。

遠足で箱根に行ったとき、おふくろがおやつを届けに来てくれたこともありました。子供から見れば迷惑千万ですよね。だから僕は親から独立することを周到に計画していました。

おやじからは「お前の兄貴はすごく優秀だった」という話をよく聞かされました。外交官を目指していたそうです。この間、兄貴が書いた手帳を見つけたのですが、数字がバーッと書かれていて理系少年だったことが分かりました。


《父親の盛之(せいし)さんは経済学者で、早稲田大学で教壇に立っていた。スイス・ジュネーブの国際労働機関(ILO)で働いた経験もある国際派だ。母親の綾子さんは洋裁店を営む職業婦人だった》


おやじは僕に、自分の後を継いで学者になることを望んでいました。でも僕は反発心から別の道に進みたいと考えていました。そんな僕に、おふくろは「お父さんの仕事を継がなくてもいいけれども、自分で何かこれはというものを見つけなさい」と言ってくれました。世の中の変化について勉強するようになったのは、その影響が大きかったと思います。

おやじは女性でも仕事を持たなければいけないという主義でした。おふくろは東京・青山に洋裁店を開いて、僕の3人の姉と切り盛りしていました。東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)を出た才女で、とても厳しい人でした。明治の女性ですが身長は170センチと高く、学校から帰宅すると、よく同窓会の仲間が集まっておしゃべりしていたのを覚えています。

僕は子供のころ、「お母さんっ子」でしたから、幼稚園の卒園式で卒業証書をもらったら、すぐにおふくろに見せに行ったりして、先生に怒られましたね。

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