山口銀行(現山口フィナンシャルグループ)元頭取で、相談役も務めた田中耕三氏が9月12日、95歳で死去した。バブル崩壊後の平成4年から10年間、頭取として銀行のかじ取りを担い、示唆に富んだ明確なメッセージで組織を牽引(けんいん)し、そして多くの人材を育てた。経営の一線を退いた後は、講演活動などで戦争体験に裏付けされた自らの人生観や国家観を披瀝(ひれき)し、日本の行く末を案じていた。
田中氏は大正15年5月、山口県生まれ。海軍兵学校在学中に終戦を迎えた。戦後、慶応大大学院を修了し、昭和29年3月に山口銀行に入行した。常務、専務などを歴任し、平成4年6月、頭取に就任した。
バブルが崩壊し、日本経済は混乱の真っただ中にあった。多くの銀行は不良債権処理に追われていた。
そうした金融危機と呼ばれた時代にトップに就いた田中氏が掲げたのは「楽をしない経営」だった。