【定年後の居場所】上呈200年「伊能忠敬の日本地図」に大興奮! - イザ!

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定年後の居場所

上呈200年「伊能忠敬の日本地図」に大興奮!

 神戸市立博物館で開催されていた「伊能図上呈200年記念特別展『伊能忠敬』」に行ってきた。伊能忠敬(1745~1818)の名前は誰もが聞いたことがあるだろうが、実際に作成された地図はどのようなものか見当がつかなかったので、これを機会に見てみようと思ったのだ。

 足かけ17年を要した忠敬らによる測量事業は、文政4(1821)年に彼の孫の忠誨(ただのり)によって、「大日本沿海輿地(よち)全図」として幕府に上呈された。ところが、この地図の現物は、明治6(1873)年の皇居火災によって灰燼(かいじん)に帰した。また、東京帝国大学に保管されていた同図の控えも関東大震災で焼失した。

 しかし、忠敬らによって作製された地図は、各地に残されており、なかでも大名家にあるものは華麗に仕立てられている。今回は70点の資料から忠敬の足跡を振り返っている。会場には地図を作成する際に使った道具も展示され、日記なども見ることができた。

 展示室にあった伊能忠敬の年表をあらためて見ると、忠敬は現在の千葉県に生まれ、17歳で代々名主を務める家柄である伊能家当主として婿養子で迎えられる。家業は主に酒造業を営んでおり、彼は家業の発展にも手腕を発揮したそうだ。

 49歳で家督を長男に譲って隠居。50歳で江戸深川黒江町に住み、19歳年下の天文学者、高橋至時(よしとき)の弟子となる。忠敬は隠居の前から興味を持っていた天体観測や測量の勉強を寝る間を惜しんで続けた。

 そして55歳から71歳まで北海道から始めて10回にわたる測量で全国を歩き回った。忠敬は、毎回同じ歩幅で歩けるように訓練した上で、歩数から指定区間の距離を計算していたそうだ。

 実際に地図を見ていると、その緻密さと地図の大きさから生まれる迫力に圧倒される。芸術的な美しさまで感じた。本やパソコンで見る普通の地図とは全く別物だった。神戸村や西宮などの地元の地名を見ていると、周囲の山などの地形が立体的になって目に浮かぶように伝わってくる。

 展示の地図を見ていた時に忠敬は自ら歩いて測量するのが楽しくて楽しくて仕方がなかったに違いないと思えてきた。博物館を出る頃にはそれは確信にもなった。自ら磨いた技術で地図を作成してその出来栄えを確認できる。61歳の第5次測量からは幕府直轄事業になり、測量先の諸藩も幕末の外国に対する海岸防備の必要からも忠敬一行を厚く遇したそうだ。地図の作成は他人からも求められていたのだ。

 これらも忠敬の無我夢中というか、「好き」を極めてこそのことだろう。「俺はもう若くないから」「年下の先生から学ぶなんてできない」などとは決して言わなかったはずだ。当日、「学芸員による展示解説会」が10時30分から受付だった。同時刻に行くと、すでに多くの人が列をなしていて40人の定員は瞬時に埋まって参加できなかった。彼に魅せられるのは私だけではなかった。

 ■楠木新(くすのき・あらた) 1979年、京都大学法学部卒業後、生命保険会社に入社。50歳から勤務と並行して取材、執筆に取り組む。2015年3月、定年退職。現在、神戸松蔭女子学院大学教授。人事・キャリアコンサルタント。25万部を超えるベストセラーになった『定年後』(中公新書)など著書多数。20年1月に『定年後のお金』(中公新書)を出版。

zakzak

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