【BOWWOW 45th HISTORY】“ステージ・トラック”でデビュー前から大注目 山本恭司が語る「BOWWOW」の歴史 - イザ!

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BOWWOW 45th HISTORY

“ステージ・トラック”でデビュー前から大注目 山本恭司が語る「BOWWOW」の歴史

ステージ・トラックの効果でデビュー前からBOWWOWの人気は高まっていた
ステージ・トラックの効果でデビュー前からBOWWOWの人気は高まっていた

 日本のハードロック界を支えてきたBOWWOWが、1976年12月のアルバムデビューから今年で45周年を迎える。デビュー前からファンを熱狂させ、英レディング・フェスにも挑んだレジェンド。9月26日の夕刊フジ・ロックフェスティバル「BOWWOW45th Anniversary」コンサートを前に、リーダーの山本恭司が歴史を語る。

 僕がギターのとりこになったのは高1のころから。それからはライブハウスに飛び入りで参加させてもらうなど、ギター三昧の日々を送っていました。松江から上京したのは高校卒業後。実は僕が入学したヤマハのネム音楽院は前年まで伊勢志摩の合歓の郷にあり、大自然の中で音楽に没頭できると楽しみにしていたんですが、僕の入学年から東京の恵比寿に移設。ショックでした(笑)。

 学校は2年間でしたが1年半経ったころ、オーディションの話が来ました。当時、『ぎんざNOW!』(TBS系)にも出ていた若手の“DO.T.DOLL”が解散。そのバンドのボーカル&ギターの斉藤光浩と、ドラムの新美俊宏の2人を軸にアイドルバンドを作ることを考えていたプロデューサーの上野義美さんが、リードギターを探していたのです。

 話を受けたネムの校長が僕を推薦してくれて、のちにプリズムに入る学友の渡辺建(ベース)と4人でセッション。光浩も新美も年下で、僕ら2人とのテクニックの差はすごくあった。でもそのとき、2人には僕にはない、スターとしてキラリと光るものを感じたんです。楽器は僕が教えればいいと75年秋に参加を決定。ベースは僕が松江でセッションした佐野賢二をスカウトしました。

 最初は都内のスタジオを使っていましたが、ラチがあかず、76年の春前に埼玉県滑川町で合宿を開始。沼地のほとりのプレハブに電気を引き2カ月間特訓です。水は近くの養豚場から汲んできました。風呂は3~4日に1回の銭湯。ロンドンブーツでランニングしたり(笑)。それでもみんなすごいバンドでデビューしたかったから、真面目に取り組みました。新美と光浩も驚くほど上達。合宿後は立川の米軍ハウスで共同生活しました。

 レコードデビューは76年12月ですが、その前からBOWWOWは話題になりました。ビクターと契約が決まり宣伝費を手にした上野さんが、ドラムもアンプも設置したステージ付きのトラックを考案。“ステージ・トラック”でのデビューは7月の東映撮影所(大泉学園)で、多くのメディアが反応してくれました。8月の水戸黄門祭り(茨城県)にも参加したり、テレビにも出たり、トラックを武器にBOWWOWの名前が浸透していったのです。

■夕刊フジ・ロックフェスティバル 恵比寿ザ・ガーデンホール「BOWWOW45th Anniversary」9月26日(日)開催

https://www.diskgarage.com/artist/detail/no013087

■BOWWOW ネム音楽院の生徒だった山本恭司(Gt&Vo)、DO.T.DOLLを解散した斉藤光浩(Gt&Vo)と新美俊宏(Ds)、山本が故郷松江でセッションした佐野賢二(Ba)のティーンエージャー4人で1975年に結成。76年に『吠えろ!BOWWOW』でデビューし、82年に英レディング・フェスに出演するなど海外でも活躍。83年に解散したが、別編成のVOW WOWの結成・解散を経て、98年にオリジナルメンバーで復活。2014年からは山本、斉藤のBOWWOW G2として活動。

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