東日本大震災からの復興を後押しする「復興五輪」を理念に掲げ、開催された東京五輪。新競技のサーフィンでは日本勢が活躍、注目を集めた。大会の余韻が残る中、震災で津波被害を受けた宮城県亘理(わたり)町荒浜地区でサーフショップを経営する残間祥夫(よしお)さん(62)は「高まった関心を被災地のサーフスポットにも向けてほしい」と願う。(王美慧)
街も店舗も流され
年間2万人が訪れる東北有数のサーフスポットだった荒浜地区。20歳のとき、初めて荒浜の波に乗った残間さんは魅了され、29歳で海のそばに店を構えた。平成23年3月11日も早朝にサーフィンをしてから、いつも通り店を開けた。だが、あの大きな揺れに襲われ、状況は一変した。
町内で約300人が震災の犠牲になった。自身は避難して無事だったが、海から約200メートルの距離にあった店は津波で全壊。周辺の住宅も商店街もすべて流され、海岸は荒れ果てた。想像を絶する状況に「二度とここでサーフィンはできない」と打ちひしがれた。
それでもあきらめなかった。「一日でも早く、元の姿に近づけたい」。3月下旬からボランティアに取り組み、6月には町の臨時職員として、がれきの撤去などに携わった。
海岸に押し寄せたがれきなどの震災ごみが徐々に減り、なじみのサーファーも戻ってきた。残間さんは26年12月に以前の場所の近くに店を再建。「自分を育ててくれた場所からは離れられなかった」という。
聖火ランナー挑戦
沿岸部の一部は住宅を建てられない災害危険区域に指定されたが、新たに商店街や公園、野球場が整備された。「人間って強いなと思った。元通りではないが、違う形で町は復興している」と、戻りつつあるにぎわいを実感している。
「より多くの人に復興した荒浜の姿を発信したい」
こんな思いから、聖火ランナーとして荒浜を駆けた。東京五輪では、新たに正式種目に加わったサーフィン男子に出場した五十嵐カノア(23)が銀メダルを獲得。波間を縫うように水面を軽やかに滑る様子は多くの人を魅了した。
五輪以降、残間さんの元にも体験スクールの問い合わせが増えているといい、サーフィンの人気の高まりを感じている。「コロナ収束後には遊びに来てもらい、復興した荒浜を知ってほしい」と語る。
サーフィンは2024年パリ五輪でも競技種目に採用されている。
「これからも五輪を見て、サーフィンをやってみたいと思う人が増えるとうれしい」と残間さん。競技人口が増えること、そして、サーファーの活気に満ちた震災前のような荒浜が戻ることを願っている。