世界遺産に登録された日光東照宮(栃木県日光市)の数ある彫刻の中で、最も有名で多くの参拝客に愛されている国宝「眠り猫」。なぜ猫は眠っていなければならないのか。平和のシンボルとなった由来を探った。
眠り猫は、徳川家康公の墓所がある奥社への参道入り口、東回廊潜り門に掲げられている。牡丹(ぼたん)の花の下で眠っているとされる猫の彫刻だ。
東照宮以外の神社にある猫の彫刻の多くは目を開いている。たとえば、大崎八幡宮(仙台市)の拝殿内部にある「睨(にら)み猫」の彫刻は、「『牡丹の花に羽を休めている蝶を狙う猫』という構図で、富貴長寿の吉祥の図柄と言われています」(同八幡宮のホームページより)。
中国では、牡丹は富貴の花として知られている。猫と蝶はそれぞれ、中国語の「老年」と似ており、長寿の象徴として親しまれているという。
猫と雀は共存共栄
しかし東照宮の眠り猫は目を閉じており、しかも蝶がいない。東照宮、大崎八幡宮のいずれの作品も伝説上の名工・左甚五郎のモデルとなった人物が手掛けたとされている。なぜ、このような違いがあるのだろうか。
平成23年まで東照宮の神職として観光客に彫刻の魅力を伝えてきた高藤晴俊さんは「眠り猫の意味を考えるうえで重要なのは、その裏側に『竹に雀(すずめ)』の彫刻があることです」と語る。
高藤さんは昭和51年ごろ、眠り猫がある門の裏側に竹林で遊ぶ2羽の雀の彫刻があることに気づいた。「猫と雀が表裏の関係にあるのはなぜだろう」。高藤さんは春日大社(奈良県)所蔵の国宝「金地螺鈿(らでん)毛抜形太刀」の鞘に、竹林で猫が雀を捕まえる戦闘的な図柄が描かれていることに思い至った。
猫は、雀のような小動物を捕獲して食べてしまう。これを踏まえれば、東照宮の「眠っている猫」と「竹林に遊ぶ雀」の組み合わせは、「猫が眠っていることで雀のような弱者も安心して暮らせる。家康公によって弱肉強食の戦国時代が終わり、平和な世界が訪れたことを示している」(高藤さん)という解釈ができる。
その当時、東照宮の案内担当者は「眠り猫は寝たふりをして、家康公の墓の番をしている」と説明していた。高藤さんは「平和のシンボルとして『眠っている』と考える方が妥当だ」と訴えたところ、ある旅行ガイド誌が高藤さんの解釈を掲載するなど、相次いでメディアに取り上げられた。平成24年に発行された地方自治60周年記念の五百円貨幣には、猫と雀が共存共栄する様子が描かれた。時を経て高藤さんの解釈が〝定説〟となった。
蝶が気になる
さて、もう一つの疑問である眠り猫の彫刻に蝶がいないのはなぜか。
眠り猫に蝶がないことについて、高藤さんは「蝶がいると猫が気になって起きてしまうため、東照宮の彫刻には蝶が外されたのでしょう」と解釈している。はっきりしたことは分かっていない。
ただ、眠り猫でみたように、建築彫刻にはそれぞれ象徴的な意味があると考えるべきだろう。高藤さんは「東照宮の彫刻はあまりに広く知られているために通俗的とみなされ、学術的な価値があるとはみなされてこなかった」と悔しがる。
高藤さんは東照宮の5173体の彫刻について、動植物、架空の動物などの図像的特徴を基準にして分類。さらに、中国の歴史や国内にある彫刻の特徴、他の寺社にある彫刻との異同などを研究する「図像解釈学」として学術的価値を訴えている。(鈴木正行)
眠り猫
日光東照宮の回廊にある彫刻作品。猫が牡丹の花の下で眠っている様子が描かれている。平成28年に約60年ぶりにお色直しされた際、薄目を開けたことがある。担当した当時の彩色工が「眠り猫は実は薄目を開けている」との伝承を意識したからだというが、「眠り猫が薄目を開けているとの伝承を確認できる史料がない」(日光社寺文化財保存会)として修正された。