東京パラ閉幕、共生の芽57年でふくらんだ 「心のバリアフリー」永遠の課題

産経ニュース

新型コロナウイルス禍の中で開催された東京パラリンピックが5日、幕を閉じた。各国から集ったアスリートがハンディを乗り越えて限界に挑む姿は人間の可能性を知らしめた。障害者の社会参加を促す契機となった1964年の前回東京大会から57年。2度目の祭典は多様な個性を認め合う「心のバリアフリー」を広めるレガシー(遺産)を残せたのか。その真価は大会後にこそ問われることになる。

施設改修が加速

「選手たちを支えるコーチやボランティアの姿を目にすることで、支え合うことの大切さを学べた。自分も取り組んでいきたい」

小中高校生に観戦機会を提供するプログラムを実施した東京都教育委員会には、参加した子供からこうした感想が寄せられた。

今大会で目指した「共生社会」の実現。自国開催は施設などのバリアフリーを加速させる追い風となった。バリアフリー法は招致決定後の2018年と20年の2度にわたり改正され、旅客施設のエレベーターの大型化などが義務付けられた。

国土交通省によると、20年3月末時点で利用者が1日3千人以上の鉄道駅の92%で段差解消が完了。11年時点の78%から大きく前進した。ただ、地域差もあり、利用者が少ない地方では遅れている現実もある。

車いすのまま乗れるユニバーサルデザイン(UD)タクシーも普及した。一方で、今大会開幕前には、広島や青森のタクシー会社がUDタクシーの車いす利用者に追加料金を設定していたことが発覚。国交省が撤回を指導しており、共生意識の浸透の不十分さが露呈した。

コロナ禍での開催

「閉会式がスタートラインとなる」。今大会のレガシーについて、車いす利用者で障害者の自立を促す社会福祉法人「太陽の家」の山下達夫理事長は語る。

64年大会のレガシーの一つは、日本人の中にある障害者像を変えたことだ。当時、日本代表53人のほとんどが療養所などの患者や訓練生で、仕事をしていたのはわずか5人。障害者は手厚く保護され、スポーツをするという意識などなかった日本社会が、自立した欧米の選手らを目の当たりにしたことで、障害者の社会参加に目覚めた。

「保護より働く機会を」。太陽の家の創設者で、64年大会を主導し「日本パラリンピックの父」とも呼ばれた中村裕(ゆたか)医師(1927~84年)はこう唱え続けた。前回大会から半世紀あまり、民間企業で雇用されている障害者は昨年、過去最多の約57万8千人。全従業員に占める割合も2・15%で、1977年の1・09%からほぼ倍増している。

とはいえ、多様性を理解し、生きづらい人が感じる社会のバリアの解消はハードとソフトの両面でまだまだ不十分だ。高齢化が進む中で、誰もが避けては通れない課題でもある。

山下氏は語る。

「コロナ禍で大会を開催できた意義は大きい。多くの人が行動が制限される中で、何ができるのかを考えるようになった。その姿勢を大切に育てていきたい。共生社会は永遠の課題だ」(玉崎栄次)

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