この逸話、米在住の元ミュージシャンで作家のマイク・エジソンさんがチャーリーさんについて書いた1冊「ドラマーへの哀れみ チャーリー・ワッツが重要な理由」(2019年)が紹介した他、さまざまな〝バージョン違い〟が存在する。
中でも有名なのが、エジソンさんの著書も引用しているキースさんの自伝「ライフ」(2010年)での描写だ。
それによると、ミックさんがチャーリーさんに電話してから20分後、誰かがドアをノックした。キースさんがドアを開けると、スーツとネクタイ姿で完璧にドレスアップしたチャーリーさんが、オーデコロンの匂いを漂わせながら乗り込んできた。
チャーリーさんはキースさんの横を通り過ぎ、ミックさんに「二度と〝俺のドラマー〟と呼ぶな!」と言い放ち、右フックを食らわせた。殴られたジャガーさんは(テーブル上の)スモークサーモンが乗った大皿の上に倒れ、勢いあまって、開いた窓から下の運河に落ちそうになったので、キースさんはミックさんを助けた。ミックさんが、キースさんが結婚式の時に着たジャケットをまだ着ていたからだった…。
ちなみに、米老舗雑誌「ニューヨーク」の運営会社が手掛ける文化・ファッション系ニュースサイト、ヴァルチャー(8月24日付)は<この逸話は、チャーリーさんがミックさんを殴り、「俺のことを二度と〝俺のドラマー〟と呼ぶな! お前は俺のシンガーだ!」と言い放って終わったとの説が有力である>と明言するなど、欧米のロックファンの間では、話を盛っている可能性が指摘されてきた。
実際、欧米では、チャーリーさんの訃報とともに、この逸話に関し、当のチャーリーさんが殴ったことを否定するインタビューの動画がネット上で拡散した。チャーリーさんが1994年、米CBSテレビの看板報道番組「60ミニッツ」に出演した際の模様だ。
チャーリーさんが、自分を含む各メンバーの役割について説明したあと、インタビュアーが「ある記事を読んだ。真偽のほどは定かではないが、ミックが君を『バンドの(専属)ドラマー』と言い、それで君が彼の部屋に乗り込んでいって…」とまで質問したところで、質問の続きをさえぎるように「違う、違う」と強く否定。
「ミックは(当時)僕をよくいらだたせたんだ。彼は僕のことを『俺のドラマー』と言ったんだ。だから、ある時、『お前は俺のシンガーだ』と言い返したんだよ」と答えた。
インタビュアーが「ある意味、正しい見方ですね」と返すと「そう。どっちも正しい。違うかい? だからあの時はちょっと怒っただけさ」と笑った。このインタビューのやりとりにもチャーリーさんの温厚な人柄が表れていて安心したのだった。(岡田敏一)