【桂春蝶の蝶々発止。】「春蝶」襲名披露時に自宅訪問 忘れられない仁鶴師匠の情愛 - イザ!

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桂春蝶の蝶々発止。

「春蝶」襲名披露時に自宅訪問 忘れられない仁鶴師匠の情愛

 上方落語を代表する関西芸能界の大御所、笑福亭仁鶴師匠が17日にお亡くなりになられました。私は2009年に父親の名跡である「春蝶」を襲名しました。その時に仁鶴師匠が言ってくださった言葉を忘れることはできません。今でも、心の中で支えになっています。

 襲名披露はまず、各一門の筆頭格の御師匠様方へのごあいさつから始まります。仁鶴師匠へのごあいさつは7月中旬、とても暑いなか、ご自宅までお伺いしました。すると、何と仁鶴師匠は黒紋付羽織袴姿で待ってくださっていたのです。

 襲名のごあいさつ…私はもう緊張して何を言っているかも分かりませんでした。あの時、34歳で、まだまだ右も左も分からない存在で…。必死に「この度、三代目を襲名させていただくことになりました…」。ワナワナしながらも、その旨をお伝えさせていただきました。

 仁鶴師匠はとても深く、優しく、慈しみある表情でこう私に言ってくださったのです。

 「ええ、この度、あなたは三代目春蝶の名跡を襲名なされます。さて、あなたのお父さまは、志半ばにして倒れられました。それはとても、残念なことでございました。どうか、これからますます精進なされて、あなたのお父さまが見果てることがかなわなかった、その夢の続きを、あなたが代わりに見てあげてください…」

 あふれる感動、時が止まったようでした。

 この名前を継ぐことの意味と、仁鶴師匠の情愛を真正面で感じる、あまりにも貴重なひとときだったのです。

 お忙しい折にも関わらず、宴席も設けてくださり、失礼したのが正午すぎ。最も暑い時間帯なのに、仁鶴師匠は外まで見送ってくださいました。

 私は恐縮しながら、「仁鶴師匠、ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます…」。何度も何度も、その言葉を繰り返しました。

 そして、車のウインドウを閉めようというとき、仁鶴師匠の奥さま、隆子さんが「だいちゃん、頑張ってね」と言ってくださった。仁鶴師匠も「がんばりや、大助くん…」と笑いながら言ってくださいました。

 私は幼少の時からよく遊びに行かせてもらったことを覚えておりますし、いくら仁鶴師匠と父が昵懇(じっこん)だったとはいえ、まさか本名を覚えていてくださったなんて…。そのことにまた感涙し、車が走り出しても仁鶴師匠の姿が涙で見えなくなってしまったこと、今でも忘れることができないのです。

 事あるごとに、優しい言葉をかけてくださった笑福亭仁鶴師匠。お世話になりまして、本当にありがとうございました。そして、永らく上方落語界をお支えいただいたこと、ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。

 心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 ■桂春蝶(かつら・しゅんちょう) 1975年、大阪府生まれ。父、二代目桂春蝶の死をきっかけに、落語家になることを決意。94年、三代目桂春団治に入門。2009年「三代目桂春蝶」襲名。明るく華のある芸風で人気。人情噺(ばなし)の古典から、新作までこなす。14年、大阪市の「咲くやこの花賞」受賞。

zakzak

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