ラジオ局のFM802でアート部門を長く担当してきた谷口純弘(よしひろ)さん(57)が、約30年のサラリーマン生活に別れを告げて6月に独立、大阪の京町堀にギャラリーとDJブース付きのカフェ、本屋、レコード屋をセットにしたコミュニティースペース「チグニッタ」をオープンさせた。内外の若手アーティストに慕われる「ビッグボス」は、ここから何を発信するのだろう。
培ったセンスでアート発進
《おいおい、懐かしいなあ。これ、「風をあつめて」が入ってる、はっぴいえんどの「風街ろまん」じゃないか》
谷口さんの仕事が終わるのを待っている間、古いレコードの並ぶコーナーを見ていて、つい心の声がもれてしまった。あまりしげしげとジャケットをながめているのを見て、谷口さんは「文句なしの名盤ですよね」というと、180センチを超える長身を折るようにして、「風をあつめて」にそっと針を落としてくれた。
《やっぱり、いい曲だ》
8月の初め。ビルの1階の奥まったスペースにある「チグニッタ」の大きなガラス窓からは、コーヒーなどを提供するカウンター越しに、靭(うつぼ)公園の木々の緑とテニスコートが見えて、とても気持ちがいい。
もっとレコードを探していると、ザ・モンキーズやディープ・パープルなどの有名なジャケットが。「ジャズやロックなど常時、200枚は並べています」
隣の棚に目をやると、写真集や洋書が整然と並んでいる。こちらは1500冊あまり。もちろん、レコードも本も売り物だ。「本もレコードも30年くらい集めてきましたが、これを持って死ねへんから…」
「本業」ともいうべき、アート作品の展示コーナーは中央のテーブルごしのスペース。この日は、大滝詠一の名盤「A LONG VACATION」のジャケットを描いたイラストレーター、永井博の色鮮やかな作品が壁に並んでいた。
売約済みシールもかなりついていて、休業日だというのに次から次に「作品を見せてもらえますか?」という若い人がやってくる。なるほど、人気が再生産されている作家をきちんとキャッチし、展覧会で扱うセンスは、さすが谷口さんというべきか。
「もともと、古本屋かジャズ喫茶をやりたかったんです」
谷口さんは、ラジオ局「FM802」で、長くアート部門を担当してきた。ひとりで頑張っている才能豊かな若いクリエーターを見つけ、企業と橋渡しして彼らが大きくなる手伝いをしたり、その規模をアジア全域に広げて平成27年には国際アートフェア「アンノウンアジア」を立ち上げたりと、関西のコンテンポラリーアートシーンを引っ張ってきた。
しかし、ことし6月に脱サラし、「自己実現」を目指して、この「チグニッタ」を設立したのである。
「アートやコーヒー、本、レコードなどを通じていろんな人が集まって、ここで新しいことが始められればいいな、と」
目指すは、いろいろな人のアイデアをかたちにしてゆくコミュニケーションスペース。
ただ、起業する以上は、肝を据えてかからねばならない。
まだ、定年まではしばらくあったが、「僕もインディペンデントにならなあかんやろ」という強い気持ちをもって、30年近いサラリーマン生活に別れを告げる決断をしたのだそうである。