東京・池袋で平成31年4月、乗用車が暴走して通行人を次々とはね、母子2人が死亡した事故の公判は9月2日に東京地裁で判決が言い渡される。妻の真菜さん=当時(31)と長女の莉子ちゃん=同(3)=を亡くした松永拓也さん(35)は法廷で被告と向き合い続ける一方、「2人の犠牲を無駄にしない」と再発防止活動に奔走。約11カ月に及んだ裁判の判決を前に、心境を語った。
飯塚幸三被告人へ
《一審の判決が出たら、もう辞めにしませんか》
松永さんは8月、今も無罪主張を続ける自動車運転処罰法違反(過失致死傷)罪に問われた旧通産省工業技術院の元院長、飯塚幸三被告(90)に、ブログでこう呼びかけた。
《こんな何も生み出さない無益な争い、もう辞めませんか》
《妻と娘が愛してくれたままの自分らしくありたいのです》
《交通事故をひとつでも無くすための活動に全力を注ぎたいのです》
8月5日、松永さんは「飯塚幸三被告人へ」のタイトルで、事故後に始めた活動などを報告するブログを更新。率直な思いをつづった。
「大切なのは、事故の教訓を紡いで2人の命を無駄にしないこと」。裁判の内容を知ってもらい、社会全体で交通事故防止を考えてもらおうと決心して公判に臨んだが、被告を目の前にすると、悲しみや苦しみ、憎しみにさいなまれた。
「多くの証拠がそろっている。過失を認めてくれるのではないか」と、淡い期待も抱いていたが、飯塚被告は車の故障を主張し、最後まで自らの過失を認めようとはしなかった。「罪を償ってほしい気持ちは当然あるが、究極的には、裁判で2人の命が戻ってくるわけじゃない。救いがない」。7月15日の結審後も、さまざまな感情が渦巻いた。その感情をブログで「言語化した」という。
亡き2人に誓ったように、人を憎む人生を歩みたくない。「同様の事故が起きないようにして、多くの命と日常が守られるように」と、今後も交通事故防止の啓発活動を続けていくつもりだ。
ブログでは飯塚被告に対し、《『どうすればこういった事故を無くせるのか』という視点を共に持ちませんか》とも呼び掛けている。「加害者(飯塚被告)が自身の過ちだったと思うことや経験を社会に伝え、交通事故をなくす未来につながるような言葉をもし発してくれたら。きっとそれが社会にとっても影響のあることだと思う」。松永さんはこう説明する。
被告人質問の中で「松永さんのブログや(発言などを報じた)新聞記事をフォローしている」と述べた飯塚被告。今回の投稿を目にしているかはわからないが、松永さんは「被告に控訴する権利があるのは理解している」と話し、こう続けた。
「難しいとは思うが、(判決を受けて)控訴するとしても、ブログに書いたような視点は知っておいてほしい。裁判で争い続けることが、遺族、社会、被告の人生にとって有益なこととは思えない」
地裁の判断は?
飯塚被告について、検察側は法定刑の上限となる禁錮7年を求刑した。これに対し、弁護側は車の故障を訴え、無罪を主張。自動車メーカーの技術者への証人尋問も実施するなど交通事犯としては異例の審理が尽くされ、地裁がどのような結論を下すか注目が集まる。
東京地検は当時の運転状況などから、飯塚被告に薬物などの影響や、制御困難な速度超過といった危険運転行為の「故意」はなく、アクセル、ブレーキのペダルの踏み間違いによる「過失」で事故が起きたと判断。法定刑の上限が20年の危険運転致死傷罪ではなく、過失責任を問う過失致死傷罪で起訴した。
公判で最大の争点となったのは事故原因だ。弁護側は事故車両がハイブリッド車で、電気系統の経年劣化で制御コンピューターなどに「再現可能性のない故障」が起き、飯塚被告がブレーキペダルを踏んだにも関わらず暴走したと主張。一方、検察側は車両の駆動系(アクセル)と制御系(ブレーキ)は独立した仕組みで、制御コンピューターに異常が生じても車両が停止する機能があったと反論した。
検察側は証人尋問で、飯塚被告の踏み間違いの可能性を補強。事故車両の機能検査を行った警視庁の捜査員は、電気系統を含めて事故前に異常があった痕跡はないと説明。メーカー技術者は飯塚被告の「ブレーキが抜けた感覚があった」とする供述に着目し、「2つのペダルの重さが異なるため、踏み間違い事故を起こした運転手によくある発言だ」と指摘した。
こうした関係者の証言を踏まえ、検察側は「被告の弁解は根拠のない思い込みに過ぎず、全く信用できない」として禁錮7年を求刑。懲役刑ではなく、刑務作業が義務付けられていない禁錮刑を選択したことに、インターネット上などで「求刑が軽い」という批判も起きたが、ある検察幹部は「同種事案と比較しても、過失致死傷罪で7年という求刑は踏み込んだ判断だ」と話す。
池袋暴走事故の2日後に起きた神戸市の市営バス2人死亡事故では、ペダルの踏み間違いで過失致死傷罪に問われた運転手への求刑は、禁錮5年だった。
審理の最後に行われた最終意見陳述でも、「アクセルとブレーキを踏み間違えた記憶は全くない。今もそう思っている」と改めて無罪を主張した飯塚被告。母子の命が奪われた悲惨な交通事故の責任は人にあるのか車にあるのか、司直の判断が待たれる。
(村嶋和樹、塔野岡剛)