創業以来初の「うなぎパイ」生産休止にもめげず、春華堂がコロナでつかんだ“良縁” - イザ!

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創業以来初の「うなぎパイ」生産休止にもめげず、春華堂がコロナでつかんだ“良縁”

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春華堂の山崎貴裕社長(写真:筆者撮影)
春華堂の山崎貴裕社長(写真:筆者撮影)

67%減、過去最大の減少幅――。JR東海が発表した2020年度決算に衝撃が走った。新型コロナウイルスによって東海道新幹線の年間利用者数は前年度から7割近くも減り、最終赤字は2015億円に上った。

長らく日本の経済成長を下支えしてきた東海道新幹線がもがき苦しんでいる。その余波をもろに受けたのが沿線各地のお土産品だ。

「雇用調整助成金に助けられた。あれがなかったらやばかったかもしれない」と、 静岡県浜松市に本社を構える春華堂の山崎貴裕社長は絞り出すような声でつぶやいた。

同社の看板商品「うなぎパイ」は、静岡の銘菓として押しも押されもせぬトップ人気を誇る。年間生産数は約8000万本。実に春華堂の売上高の8割以上がうなぎパイによるものだ。しかし、コロナは人の移動とともに、うなぎパイの売り上げをそっくりそのまま奪い去った。

駅などで販売できなければ、インターネット通販があるではないかと思うだろう。実際、菓匠三全(仙台市)の「萩の月」や、赤福(三重県伊勢市)の「赤福」など、コロナ禍で各地のお土産品がネット販売に踏み切った。

しかし、うなぎパイは通販をしないという不文律がある。理由は、商品の破損を防ぐためだ。うなぎパイは職人の手によってパイ生地が9000層も折り重ねられており、非常に割れやすい。「壊れてもいいから売ってほしい」という声がネット上などに溢(あふ)れたが、春華堂は決して掟(おきて)を破ることはなかった。

とはいえ、売ることができない商品を今までのペースで作り続けることはできない。断腸の思いで、20年3月13日から5日間、生産拠点である「うなぎパイファクトリー」および浜北工場の操業を一時休止した。これまで停電やメンテナンスなどで数日間止めることはあったが、生産調整のために休業するのは130年以上続く同社の歴史で初めてのことだった。

「工場を止めるのは嫌でした。ただ、そのニュースを見た人たちが応援してくれて、瞬間的に売り上げが上がりました。それがあって、前倒しで生産を再開することができたのです」と山崎社長は振り返る。

その後、夏から始まった「Go To トラベルキャンペーン」によって静岡にも観光客が戻ってきた。比例して売り上げも回復し、最終的に20年度の業績は前年比35%減で着地した。

「Go To トラベルのおかげで爆発的に人が動いたのと、コロナの波が2、3回落ち着いたときに少し売り上げが伸びたため、(前年の)半減よりは上振れしたのかなと思います」と山崎社長は話す。

コロナ禍で進んだ社内改革

いまだコロナは落ち着く気配がない。「当初は1年で終わると思っていましたが……」と山崎社長は悔しさを滲ませるが、けがの功名もあった。

1つ目は「働き方改革」だ。今まで直営店は年中無休で営業していた。しかし、工場は減産し、県外の客もそう来なくなった。そこで20年5月14日から営業時間を短縮するとともに、週に2日、定休日を設けた。

例えば、うなぎパイファクトリーは、コロナ前は年間70万人が訪れていて、平日も土日・祝日も多忙を極めていた。コロナを契機に、制度として社員のワークライフバランスを促すこととなったのである。

2つ目は「生産の効率化」だ。これまでは工場であらゆる商品を一括生産していたが、一部を店舗で仕上げするように変えた。

「工場で一括にすると全部動かさないといけないので、人件費も光熱費もかかります。そこで大きな在庫を持つ必要があるものは工場で作って、生菓子など当日仕上げられるものは、店舗でまかなうようにしました。店も1つの工場に見立てて、製造兼販売の機能を持たせたのです」

また、生産量が減ると、原料のロスが問題になる。春華堂もこれに直面した。本来うなぎパイで使うバターが数十万トンも余って、工場の冷蔵庫に金塊のように積まれていた。無駄にしないためにはどうすればいいかを考え、新たに生まれた商品が「バター3℃」というフローズンバターサンドである。店舗では個数限定販売ということもあり、すぐに売り切れることもあるそうだ。

3つ目が「社員のモチベーションアップ」である。例年、国内最大の洋菓子コンクール「ジャパン・ケーキショー東京」や、「静岡県洋菓子作品展」に職人が出場していたが、20年はコロナで大会が中止となった。このコンクールを目標にしていた職人は多かったため、急きょ、社内でコンテストを開いた。

ハロウィーンをテーマに、和菓子、洋菓子の職人が25人参加。従来ならば各自がコンクールの作品づくりに黙々と取り組むところ、今回は参加者同士がアドバイスを送り合うなど、お互いに技術力を向上しようとする姿勢が見受けられた。これが特に若手職人の刺激となり、次の社外コンクールに向けてモチベーションが高まったという。

「うなぎパイの会社とやりたい」

コロナがもたらしたプラスの変化は社内だけではない。外部とのつながりも深まった。 実は、これまで春華堂はあまり社外との連携をしてこなかった。「もともとは、全てを自分たちだけでやろうという意識がありました」と山崎社長は語る。浜松を代表する老舗企業としてのプライドもあっただろう。潮目が変わったのが数年前。ずっと閉じこもっていた殻をひと破りした。

「五穀屋、nicoe(ニコエ)、coneri(こねり)といった新しいブランドを立ち上げた際に、外の力も借りました。それによって成功したときの喜びや、できるもののクオリティーの高さは代え難いものだと学んだのです。結果的に、それが地域や顧客にとっても良いことになればいいのではと思いました」

そして、コロナのタイミングで一気に外向きのスピードが加速した。

その一例が、日本航空(JAL)との協業だ。きっかけは、JALの中部地区支配人の五百旗頭(いほきべ)義高氏のうなぎパイに対する懐旧だった。

コロナ禍でJALも大打撃を受けたことで、中部エリアの企業と連携し、新しいビジネス交流を図るべきだという案が浮上した。では、どことタッグを組むかという話になったとき、五百旗頭氏は迷わず「うなぎパイの会社とやりたい」と声を上げたという。大阪出身の五百旗頭氏は幼少期、父親が出張するたびにうなぎパイを買ってきてくれたことが、思い出として深く印象に残っていたのだった。

ただし、それまでJALと春華堂の会社同士の接点はなかった。すると、五百旗頭氏のチームメンバーの一人が、以前「浜松パワーフード」という地元の食材をPRするイベントでつながりを持っていたことが分かり、20年4月にそろって春華堂本社にやって来たそうだ。

ちょうど緊急事態宣言が発令されたばかりの時期で、うなぎパイの売り上げも苦しいときだったため、春華堂にとっても渡りに船だった。

すぐに意気投合し、具体的な企画を検討する中で、コロナ禍でも活動できる農業で何かできないかとなった。一緒にサツマイモを植えて、秋に収穫し、コロナが収まったときに共同開発した商品を出しましょうと、話がまとまった。

サツマイモは、うなぎの骨や頭を肥料にした「うなぎいも」という浜松のブランド野菜を使うことにした。うなぎいも協同組合に協力を仰ぎながら、両社の社員が泥だらけになって一緒に芋を植えた。

協業はこれだけで終わらなかった。

試作品を検討するミーティングの場で、春華堂の和菓子ブランドである五穀屋の「山むすび」をだしスープとともに食べるスタイルがJALの客室乗務員などに好評だったことを受けて、2社共同開発での商品化を決めた。国際線での機内提供を始めるとともに、「山むすび だしゆのこ」という商品名で7月から販売することにもなった。

春華堂としても、新たな販路開拓やブランディングに結び付き、ビジネス拡大の絶好の機会となった。「コロナだからこそ生まれた付き合いだ」と山崎社長は喜びをかみ締める。

浜松の食をアピール

この取り組みは副次的な効果も生む。春華堂は地元・浜松の農業に対するつながりも強化することとなった。

例えば、あったか農場と協同で、遠州落花生を育てて、調理する “体験型”オーナー制落花生栽培や、静岡県温室農業協同組合と静岡クラウンメロンのイベントを開催するなど、枚挙に暇ない。

コロナ禍で浜松の農家も苦しい。そうした人たちの声に耳を傾けるにつれ、地域の生産物を広めたい思いが日増しに強くなっているという。近隣旅行であるマイクロツーリズムのような企画を検討し、浜松の食を深く知ってもらう企画も浮上しつつある。春華堂の担当者は「一体になって浜松の産業を盛り上げたい」と意気込む。

ある医師からの手紙

「コロナが運んできた縁といえば、こんなこともあった」と山崎社長は明かす。

3月、工場の操業休止がニュースになった直後、新潟のある医師から手紙が来た。そこには「うなぎパイを100万円分買いたい。それを、コロナの患者を受け入れている病院に配っていただけませんか」と書かれていた。

すぐにお礼の電話をして、医師と話をしたところ、「通販されていないと聞きました。ですので、なるべく静岡、愛知県以外の地域に届けてほしい。コロナが明けたら、うなぎパイを受け取った医療従事者たちは感謝の恩返しに、春華堂の工場に遊びに行ってもらいたいのです」という。春華堂が困っているのを知って、困っている人同士が100万円でWin-Winになればいいという考え方だった。

「ありがたいことに、こんなタイガーマスクみたいな人がいるんだ」と山崎社長は感心したが、好意に甘えることはせず、いったんは断った。

「ありがたいお言葉ですが、われわれではなくて、お弁当を作っている会社とか、もっと助かる方々は大勢いるのでは」と山崎社長が伝えると、「それは違う。春華堂さんがいま困っているので、助けたいし、医療従事者も助けたい」と譲らなかったという。

そこまで言ってくれるのであればと、心意気に感謝し、提案を受け入れて、販売エリア外の病院にうなぎパイを送った。

この出来事とは別に、春華堂も自発的に浜松市内のいくつかの病院や、首都圏の介護施設、子ども食堂などにお菓子を寄付していた。自分たちにできることをやる。これは社訓でもあるからだ。

どんなに辛くても最後は笑顔に

春華堂には創業以来、「三惚(さんぼ)れ主義」という企業理念がある。

一、土地に惚れること

二、商売に惚れること

三、家内に惚れること

地域や周りの人を大事にしよう、会社も愛そう、家庭も大切にしないといけない。どれかがひとつ欠けても駄目ですよという教えである。

これを山崎社長の代になって「三笑主義」と変えた。

一、笑顔があふれる会社であること(家族)

二、笑顔が交わる地域であること(土地)

三、笑顔を創るお菓子を提供し続けること(商売)

仕事や人生でつらいときがあるかもしれないけど、最後は必ず笑えるように、みんなで、笑顔で楽しくやりましょうというのをメッセージに込めている。

「菓子って、多くの人たちに笑顔を届けることだと思う」と山崎社長は断言する。これが日々の思考の下地になっているため、コロナ禍の寄付も特別なことをやるという感覚ではない。地域や人々への貢献は、浜松で130年以上も商いを続けている春華堂のノブレス・オブリージュなのだろう。

次世代のために

なんとか踏ん張りとどまっているとはいえ、コロナの爪痕(つめあと)は深い。春華堂はコロナ前のタイミングで大きな投資もしており、その借金の返済計画が大幅にずれ込んでいる。ここに軌道修正をかけなくてはならない。

「今まではある程度余力を持った上で、次なる一手を打ってきました。それがカツカツの状態になってしまった。まずは戻すことが先決。たとえ1、2年は売り上げが止まったとしても、どうにか雇用と会社だけは維持できる体力に戻して、自分たちの子どもの世代にバトンタッチしていきたい」

その未来を見据えた一大プロジェクトが、4月に開業した複合施設「SWEETS BANK(スイーツバンク)」だ。こだわり尽くした結果、2年以上もスケジュールを後ろ倒しした。当然、その分のコストもかさんだ。

そうまでしても春華堂や山崎社長が目指したもの、追求したものとは何か。次回はそこに賭けた思いに迫る(50億円を投じてでも、新施設で「うなぎパイ」の思いを春華堂が再現したかった理由)。

著者プロフィール

伏見学(ふしみ まなぶ)

フリーランス記者。1979年生まれ。神奈川県出身。専門テーマは「地方創生」「働き方/生き方」。慶應義塾大学環境情報学部卒業、同大学院政策・メディア研究科修了。ニュースサイト「ITmedia」を経て、社会課題解決メディア「Renews」の立ち上げに参画。

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