【プーチンの国より愛を込めて】戦火から守った至宝「エルミタージュ・ウラル」 - イザ!

メインコンテンツ

プーチンの国より愛を込めて

戦火から守った至宝「エルミタージュ・ウラル」

ジュリア・ミント(写真)
ジュリア・ミント(写真)

 ドブラヴィーチェル、親愛なる日本の皆さま!

 ご存じの方も多いかと思いますが、わが国のサンクトペテルブルクには、世界3大美術館のひとつであるエルミタージュ美術館があります。

 この豪華絢爛(けんらん)な美術館の歴史は、18世紀にロシア皇后エカテリーナ2世が芸術作品の収集を開始したときに始まりました。

 数世紀を経た現在、その所有展示数は約300万点といわれていますので、しっかり全てのコレクションを見ようとすれば何年もかかるでしょう。

 面白いところでは「エルミタージュの猫」と呼ばれる約60匹の猫が、展示品をネズミから守るスタッフとして美術館の地下で飼われています。

 そのエルミタージュ美術館のコレクションの一部が展示された美術館、「エルミタージュ・ウラル」が先日エカテリンブルクにオープンしたので、私はさっそくその場所を訪れてみました。

 エルミタージュ美術館とエカテリンブルクの関係は深く、その歴史は1941年6月22日、ナチスドイツがソ連に侵攻したときに遡(さかのぼ)ります。

 当時レニングラードと呼ばれたサンクトペテルブルクにドイツ軍が迫ってきたとき、膨大なコレクションを避難させるために、館長や学芸員たちと地元の人々が総出で梱包(こんぽう)作業に携わり、数十万点のコレクションを2回に分けて列車でエカテリンブルクまで運ぶことに成功しました。

 しかし、その数カ月後にレニングラードがドイツ軍によって包囲されると、列車を使った3回目のコレクション避難は不可能となり、美術館内の爆弾シェルターとして機能する地下室に保管されたコレクションは、その後の900日間に及ぶドイツ軍との包囲戦の中で守り続けられました。

 一方、エカテリンブルクに移動してきたコレクションは、当時のソビエトアートギャラリーに保管され、レニングラードから一緒に避難してきた数人のエルミタージュ学芸員とともに守られ、戦後になってからエルミタージュに返還されました。

 そのような歴史的経緯から、「エルミタージュ・ウラル」も戦時中にコレクションが保管されていた同じ場所にオープンされており、本家エルミタージュ美術館は感謝の気持ちを込めて、「エルミタージュ・ウラル」オープニングのための貴重な作品も提供しています。

 こちらのエルミタージュは本家と違い小規模の美術館ですが、エカテリンブルク市民にとってそれは新鮮な息吹であり、戦時中命がけで傑作を守り続けてきた人々についての貴重な記録となっています。

 ■ジュリア・ミント 1994年ロシア連邦バシコルトスタン共和国生まれ。エカテリンブルクの医科大を経て、眼科医の資格を持ちながら日本人コンポーザー・トモキヒラタと共にノーザンスタイル・ダンスミュージック・ユニット”Crystal Mint”を結成。シンガーソングライターとして活動中。特技は英語、スキー。 (本文和訳-平田トモキ)

zakzak

  1. コロナ収束後、「ないままでいい」飲み会 3位「新年会」、2位「会社の定期飲み会」、1位は?
  2. 「日本企業は出ていくのか?」 危機感強める中国当局
  3. 【年のはじめに】中国共産党をもう助けるな 論説委員長・乾正人
  4. 内田理央のおっぱい写真にファン大興奮「一瞬ビビった」「萌え死んだ」