儲けることが難しい「五輪ビジネス」に、なぜ日本企業は“お金”を出すのか - イザ!

メインコンテンツ

儲けることが難しい「五輪ビジネス」に、なぜ日本企業は“お金”を出すのか

ITメディア
東京五輪のスポンサーになってみたものの……(写真提供:ゲッティイメージズ)
東京五輪のスポンサーになってみたものの……(写真提供:ゲッティイメージズ)

「感動をありがとう!」「コロナ禍でも完璧な大会をした日本の素晴らしさが世界に伝わった!」

なんて喜びの声に列島が包まれるなかで、なんとも複雑な心境の方たちがいる。五輪のスポンサー企業や、五輪経済効果を期待していた業界のみなさんだ。

ある五輪スポンサー企業の経営者は『日本経済新聞』(8月9日)に対して、「数十億円払ったが全くもうからなかった」と愚痴をこぼしている。また、三菱UFJリサーチ&コンサルティングの小林真一郎・主席研究員が『毎日新聞』(8月8日)の取材に答えたところによると、五輪の経済効果は「ほぼゼロ」だという。

ゼロならまだマシだ。「無観客五輪」によって生じた巨額損失の試算が国内外のエコノミストから発表され、中には3兆円超の大赤字だという見立てもあり、これらの損失が全てわれわれの血税で賄(まかな)われることへの不満の声も上がっている。

算出し難いダメージを被った企業もある。例えば、競技会場に持ち込む飲料がコカ・コーラ社以外の場合、ラベルをはがさないといけない“スポンサールール”に反感を抱く人が続出し、中には不買を呼びかける人もいた。もちろん、売上的にはなんの影響もないが、この騒動が“デジタルタトゥー”としてネット上に未来永劫アーカイブされたことで今後、同社に何か問題があるたびに蒸し返される。投じた資金に見合わないマイナスのPR効果といえよう。

この背景には、感染拡大局面かつ酷暑のタイミングにこだわったのは、全ては巨額マネーを注ぎ込んでいる米テレビ局の意向だという話が広まったことで、「五輪スポンサー=スポーツを食い物にしている連中」といったネガイメージが広まったことが大きい。最上位スポンサーのトヨタ自動車が、五輪関係のテレビコマーシャルの放映を取りやめたことが、その証左である。

残念な状況に

もうからないうえ、大金をはたいても企業イメージは上がらない。まさに踏んだり蹴ったりという「五輪ビジネス」の惨状に、「コロナさえなければ」と悔やむ企業関係者もいるだろうが、それは考えが甘い。もし仮にコロナがなくて「有観客五輪」だったとしても日本企業の多くは、遅かれ早かれ今のような残念な状況に追い込まれている。

五輪はイベントの構造上、チャリンチャリンとカネが入ってくるのはIOCだけで、開催国は決してもうかるものではないからだ。

今回、大会開催中にIOCのバッハ会長が「中止になっても保険があったのでIOC的には損はなかった」とポロッと言って大ヒンシュクを買ったが、実はあれが五輪というビジネスモデルの本質をついている。IOCは放映権とライセンスで金を集めて、イベントにかかる費用やそこにまつわるリスクは全て開催都市に負担させる。つまり、IOCにとって五輪は高見の見物をしているだけで大金が転がり込む、ローリスク・ハイリターンの権利ビジネスなのだ。

では、そんな調子でIOCからガッツリと“お金”を取られる開催国側に、どれだけ「うまみ」が残されているのか。「子どもたちに夢を与えられる」とか「アスリートのがんばる姿が生きる希望になった」というプライスレスなものを除くと、経済的にはマイナスしかない。

開催時期はメダルラッシュ報道と外国人が押し寄せた特需でなんとなく「景気が良くなったムード」が社会にまん延するが、それも1カ月足らずの期間の話なので景気はすぐに冷え込む。五輪グッズを買い漁っていた国民も、秋口には別のブームを追いかける。そのように効果が儚(はかな)く消える「打ち上げ花火的特需」であることに加えて、五輪不況が追い打ちをかけるからだ。

ご存じの方も多いだろうが、五輪は不況のトリガーになる可能性が高い。1988年の韓国・ソウル、92年のスペイン・バルセロナ、2000年のオーストラリア・シドニー、04年のギリシャ・アテネ、08年の中国・北京、そして16年のブラジル・リオデジャネイロなど五輪後に成長率が悪化している国が圧倒的に多いからだ。

五輪が治安を悪化

これはちょっと考えれば当然だ。「祭り」の前は会場や道路、宿泊施設の建設ラッシュで景気が瞬間風速的に上向くが当然、祭りが終わればその反動で、バブルがはじける。「国のメンツもある、世界から見られて恥ずかしくない施設を」とハコモノをじゃんじゃん建てたはいいが、それが五輪後もお金を生むわけなどなく、ほとんどは廃墟と化す。ビジネスインサイダーの『五輪施設の今がわかる34枚の写真…ベルリンから北京、ロンドン、リオまで』(7月26日)がよくまとめてあるので、ご覧になっていただくといいだろう(参照リンク)。

また、ゴーストタウン化くらいならまだかわいいもので、財政悪化によって、国民の生命や財産が脅かされるパターンも多い。分かりやすいのが、リオデジャネイロだ。

「五輪に向けた多額のインフラ投資により、基礎的財政収支は12年から赤字に転落。長期負債は16年時点で1080億レアル(約3.5兆円)に達した」(日本経済新聞 2018年2月19日)というリオでは、警察官への給料遅配が常態化して、パトカーや警察備品にも金が回らなくなった。殺人件数は12年まで減少していたが、財政難のせいで増加に転じた。五輪が治安を悪化させたのである。

ブラジル国民の貴重な財産も失われてしまった。18年に重要な文化財が多く収められていた国立博物館で火災が発生して、2000万点を超える収蔵品の9割が焼けてしまったのだ。背景にはあるのは、財政難による科学予算費のカットだ。お金がないのでスプリンクラーが設置できず、消火栓も壊れたままで作動しなかったのだ。

これは日本にとっても対岸の火事ではない。世界トップレベルのコロナ対策費を計上しているところに、五輪の巨額損失がオンされるのだ。日本政府が「お金がないのなら刷ればいいじゃない」というMMT理論(自国通貨で借金できる国は、過度のインフレにならない限り、借金が膨れ上がっても問題ないという考え方)に方針転換でもしない限り、増税していくしかないが、日本の政治家は落選が怖いのでそう簡単には増税はできない。そこで代わりに公共サービスを削っていく。庶民の生活に直結しない科学、教育、文化などの予算を削ったり、効率化とかDXとかの名目で、公的機関の人員を減らしていくのである。

なぜ大企業が引っかかったのか

さて、そこで疑問に思うのは、なぜこのような「経済的なメリット」がほとんどない五輪に、数十億円ものスポンサー料を払ったり、「五輪の経済効果でウハウハだ」みたいな設備投資を行ったりしてしまう日本企業がいるのかということだ。

サントリーホールディングスの新波剛史社長が7月20日、CNN Businessの取材に応じて「五輪のパートナーとなることを考えたものの、経済的に割に合わなかった」と述べたように、ちょっと調べれば「投資先」としてうまみがないことは明白だ。なぜそんな怪しい話に、そうそうたる大企業が引っかかったのか。

「アスリートのために、ビジネスを度外視として応援したのだ」という人もいるだろうが、筆者は主に2つの原因があったのではないかと思っている。それは国策と五輪神話だ。

もう忘れている人も多いだろうが、「アベノミクスで日本復活!」と叫んでいた時代、日本政府は20年の東京五輪でホップ、25年の大阪万博でステップ、カジノを含むIRでジャンプ、という日本経済復活シナリオを見込んでいた。

官房長官時代に、二階氏とともにIRをゴリゴリ押していた菅義偉首相は、基本的にこの成長シナリオを踏襲している。要するに、五輪は平和の祭典だという以前に、日本政府がゴリゴリに推進していた国策なのだ。

「2050年カーボンニュートラル宣言」なんて怪しい話に、大手自動車メーカーが右にならえで従って従業員をリストラしていることからも分かるように、国の産業政策に近い大企業は国策には黙って従わないといけない。これと同じ構図で、国策である五輪にカネを突っ込むのは大企業の義務なのだ。

このような国策で渋々カネを出した企業もあれば、心の底から「五輪はもうかる」と信じてカネを出した企業もある。日本では「1964年の東京五輪をきっかけに日本は成長した」という“神話”があるからだ。

ただ、これはまさしく神話レベルの眉唾な話だ。マスコミによる「歴史の改ざん」と言ってもいいかもしれない。

科学的根拠ゼロの精神論

1960年代の日本は高度経済成長期だった。これはよく「日本の技術力のおかげ」「東京五輪をきっかけに日本人が一つになった」みたいな話に持っていかれるが、シンプルに人口増加という科学現象だ。

中国が急速に経済成長していることを、世界のエコノミストたちが「中国の技術力のおかげだ」とか「北京五輪で人民がひとつになった」みたいな情緒的な話で片付けないように、ある程度の技術・教育水準となった国のGDP成長は人口と連動する。60年代の日本も今の中国ほどではないが、国民の生活水準が上がって人口も増えていた。先進国の中では米国に次いで世界第2位の人口大国となった。だから、米国に次いで世界第2位の経済大国となったのだ。

しかし、そんな順風満帆だった日本の成長にブレーキがかかる。そう、東京五輪だ。

60年代に入って順調に成長したGNPが、65年になるとガクンと落ち込んでいわゆる「昭和40年不況」に突入し、さらにそれが証券不況まで引き起こして、企業をバタバタ倒産させてしまうのだ。先ほど見た開催国にほぼ確実に起きる五輪不況は、64年の東京五輪でも起きていたというわけだ。

その後、70年の大阪万博の特需もあってどうにか景気は持ち直したが、人口増加による後押しがあった時代でさえこれだけ経済にダメージを与えたのである。毎年、鳥取県の人口と同じだけの国民が消えていく今の日本で、どれほど深刻なダメージを与えるのかは容易に想像できよう。

残念ながら、日本の学校教育は「経済と人口」の関係を教えない。「日本は神の国なので、戦争に絶対勝ちます」と教えていたころと教育方針が基本的に変わっていないので、「日本が経済発展したのは日本の技術のおかげ」「東京五輪をきっかけに日本人が一つにまとまった」という科学的根拠ゼロの精神論で経済を教えている。

だから、いい歳をこいた大人が真顔で「東京2020で日本経済はさらに成長します」というような世界の現実とかけ離れたお花畑のようなことを言ってしまう。つまり、もうかる見込みのない五輪に対して、数十億円の大金を注ぎ込んでしまったり、ビジネスチャンスと捉えたりするのは、日本の教育のせいでもあるのだ。

「五輪ってやばくない?」という認識

ただ、今回の巨額損失によって、わずかだが日本社会に「五輪ってやばくない?」という認識が広がる。個人的には、これは喜ばしいことだと思っている。五輪に対して巨額マネーを突っ込むことが不毛だという企業が増えれば、「アスリートにカネを出すほうが遥かに社会にとって有意義」という機運が高まるかもしれないからだ。

ご存じのように、アマチュアスポーツ、特にマイナー競技のアスリートは「スポンサーがつかない」という大きな問題がある。競技人口も観客も少ないので、企業から「PR効果がない」と軽視されているのだ。

実はこれまでの話と同じく、言われているほど効果がなくマイナスのほうが多い。メダルをとっても競技普及やスポンサー企業増加につながらないのだ。

カーリングの日本代表で、トリノ、バンクーバー五輪を経験した本橋麻里さんが、平昌五輪で「カー娘」で日本中がわいたとき、感想を尋ねられて「4年に一度起きるやつですよね」と冷静なコメントをしたことからも分かるように、タピオカブームのように瞬間風速的にマスコミが騒ぐだけで、固定ファンが定着しないのだ。

むしろ、「五輪が大事」と大騒ぎをするせいで、メダルを取れない競技が露骨に冷遇される。また、メダル獲得が至上命令の競技は、「誰もが楽しめる」という一般人の視点がどんどん欠如するので、若者や子どもから敬遠されていく。メダリストを多く輩出する一方で、中高生の競技人口が減少している柔道はその典型だ。

実はこの「五輪の弊害」は、1964年の東京五輪から指摘されている。閉会後、世界初の「国際スポーツ科学会議」が催されこんな批判が相次いだ。

五輪ビジネスに関わっても

「“すべての人のスポーツ”というオリンピック憲章の精神が忘れられた選手強化」「大衆から離れてゆく日本のアマ・スポーツ」「スポーツのナショナリズム化」(読売新聞 1964年10月6日)

五輪の商業主義に歯止めをかける素晴らしいレガシーだが、当時の日本人はこれを歴史の闇に葬った。「五輪は世界から大絶賛され、日本経済発展の起爆剤になった」という大本営発表と矛盾してしまうからだ。

東京五輪で銅メダルに輝いたマラソンの円谷幸吉氏が、メダルのプレッシャーから自殺に追い込まれたのはその3年2カ月後のことだ。

今回の東京2020大会も「五輪ビジネスに関わってもロクなことはない」というかけがえのないレガシーができた。今度こそ歴史の闇に葬ってはいけない。大企業はボッタクリ案件の五輪にさっさと見切りをつけて、メダルではなくアスリートに対して金を投じるべきだ。

次の冬季五輪は北京なので、日本以上にスポーツナショナリズムやメダル至上主義が炸裂するだろう。米国との対立が続けば「スポーツを介した戦争」のようになるかもしれない。アスリートが食い物にされる傾向はさらに強まる。

「うわ? あの企業、今どき五輪スポンサーなんかやってんだ。センスねえなあ、ガッカリだよ」なんて言われてしまう時代が、もうそこまで来ているのではないか。

関連記事
  1. 巨人・小林“謎の昇格”にナイン「いよいよトレードだ」と惜別 捕手を4人体制とした原監督の真意は
  2. 次の自民党総裁にふさわしいのは誰? 高市前総務相が衝撃の「81%」 菅首相の11・9%を7倍近く引き離す 夕刊フジ・zakzak緊急アンケート
  3. 高市氏の記者会見場で報道関係者怒鳴り声
  4. コロナ、経済対策、外交…新総裁適任は? 識者に聞く
  5. 内田理央のおっぱい写真にファン大興奮「一瞬ビビった」「萌え死んだ」