大病を克服し、並外れた精神力で五輪に戻ってきた池江璃花子さん。力強い泳ぎには想像を超える努力があったはずです。「努力は必ず報われる」という池江さんの言葉は、多くの人に勇気を与え、まさしく感動でした。
今後も金メダリストの大橋悠依さんと、世界的な水泳選手として両翼を担ってゆくはず。笑顔の奥に隠れる無限の可能性。今後の超越を彷彿とさせる火の鳥のような泳ぎっぷりで、21歳という財産を手に、これから大きな栄誉を手にするのでしょう。
池江さんで印象に残っているのは、テレビで復活の特集を見ていると四股を踏まれていました。それを見て改めて、「四股は身体を強くするのに大切なんだ」と思いました。身体が細くなられていたときに、リハビリでやっていたと思うのですが、さすがは日本が誇るアスリート。しっかりした、きれいな四股になっていました。
先代(父の元大関貴ノ花、先代二子山親方)は「10回踏んだら足が震えるようになるのが本物の四股だ」と話していたものです。四股には人間の身体の骨格を鍛える原型のようなものがある。真剣に踏めば踏むほど、自分を追い込むことができる。
先代は前回の1964年東京五輪のときに、競泳で金メダルを目指していたそうです。親方になってからも海やプールではまさしく水を得た魚。バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、潜水まで長けていて、私にとりましては国民栄誉賞並みの泳ぎでした。
小さなころはまるでウミガメの親子のように、海に浮かんだ父の背中に私が乗り、「首に捕まっておけ」と数十分間も同姿勢で遊ばせてくれたこともありました。その背中は大きな大きな潜水艦のようで、安定感抜群でした。
プールではルーティンがあるようで、全種目を泳ぎ最後はバタフライ。本気で泳ぎ出すとまさに飛ぶようで、ちょっと近寄りがたいほど。あれを見ると、五輪の金メダルを目指していたんだというのがよくわかりました。
先代は東京五輪翌年の1965年に15歳で二子山部屋に入門しましたが、なんとなく何をやりたかったのかというのはわかります。相撲でもあれだけ活躍された方ですが、水泳を自分のものにされてきた。もし先代が水泳の道に進んでいたら、あの泳ぎはマネをできないでしょうけど、私も同じ道に進んでいたかもしれません。
私も泳ぐことは好きです。まだ若手のころ。秋田の巡業で体育館の裏に川があり、先輩力士と「泳ぐか」という話になって、川に入っているところをテレビカメラにバッチリ撮られていたこともありました。
小錦さんや武蔵丸さんは、あんな大きな体でも泳ぐのはとてもうまかった。昔は稽古も厳しく、巡業もつらく、当時の巡業部長や親方も怖かったけど、ああいうところに遊び心がありました。