【東京五輪と自衛隊】単なる曲技飛行チームではない「どんな困難も乗り越えられる」ブルーインパルスのメッセージ - イザ!

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東京五輪と自衛隊

単なる曲技飛行チームではない「どんな困難も乗り越えられる」ブルーインパルスのメッセージ

ブルーインパルスは五輪開会式当日、東京上空を飛行した=23日午後
ブルーインパルスは五輪開会式当日、東京上空を飛行した=23日午後

 航空自衛隊のアクロバット飛行チーム結成への反対を押し切り、これを推し進めたのは、源田実・航空幕僚長だったという。当時の経緯は、武田頼政著『ブルーインパルス 大空を駆けるサムライたち』(文春文庫)に詳しい。

 源田氏といえば「源田サーカス」と名を馳せた、かつての海軍戦闘機パイロットである。チーム創設の意義を解さないはずはない。「剛腕」で知られ、その政治力で参院議員までのぼりつめた同氏は、議員時代にカーチス・ルメイ米空軍参謀長の叙勲を推し進めたこともあり、いまなお厳しい評価をする日本人も多い。

 ルメイ氏は、日本への無差別爆撃や原爆投下を指揮した張本人だったが、戦後、空自創設に貢献したとして叙勲されたのだ。

 自衛隊が創設された当時、あらゆる隊員が戦争を経験していた。ある者は仲間を失い、ある者は家族を失い、傷を負っていない者などいなかった。米軍の指導によりつくられる自衛隊の歴史に、じくじたる思いを抱いていた者もいたことだろう。

 死線をくぐり、死を目の当たりにしてきたパイロットたちが、戦後になってなお命知らずの曲技飛行に挑んだことには、きっと深い意味がある。そう思わせたのは「ブルーインパルス」命名の経緯だ。

 この名は、広島・呉で原爆を体験した隊員が山越に見た「青い閃光(せんこう)」の強烈な印象から名付けられたのだという。

 それだけに、「ブルーインパルス」が、敗戦から這い上がって間もない「平和の祭典」東京五輪(1964年)で上空に五輪を描いた意義はあまりにも大きかった。

 ブルーインパルスによる飛行は、幾多の血と骨によって復活を果たしたわが国を断固として守り続ける、今度こそ守り切るという揺るがぬ意志の象徴だったのだ。

 多くのパイロットが報酬の高い民間航空会社に流出するなど、苦労の時代もあった。また、2011年には東日本大震災で、ブルーが所属する松島基地(宮城県東松島市)が甚大な被害を受けた。

 たまたま、基地を留守にしていたブルーは奇跡的に難を逃れ、13年3月に松島基地に帰還を果たすまでの2年間、各地で日本国民を勇気づける飛行を続けた。コロナ禍においては昨年5月に、医療従事者などへの感謝を示す飛行を東京都上空で実施、多くの人が笑顔で空を見上げた。

 ブルーインパルスは単なる曲技飛行チームではない。国民に空自の役割を知らせる広報であるとともに、その技術の保有が国の抑止力となる。

 そして、何より私たちに言葉にできない「何か」をもたらしてくれる。それは、「どんな困難も乗り越えられる」というメッセージなのだ。

 ■桜林美佐(さくらばやし・みさ) 防衛問題研究家 1970年、東京都生まれ。日本大学芸術学部卒。フリーアナウンサー、ディレクターとしてテレビ番組を制作後、防衛・安全保障問題を取材・執筆。著書に『日本に自衛隊がいてよかった』(産経新聞出版)、『自衛隊の経済学』(イースト新書)、『自衛官が語る災害派遣の記録』(並木書房)など。

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