【東京五輪と角栄の時代】NHKが横やりも「選手村問題」一件落着 田中角栄氏、川島幹事長とのタッグで難題を次々と突破 - イザ!

メインコンテンツ

東京五輪と角栄の時代

NHKが横やりも「選手村問題」一件落着 田中角栄氏、川島幹事長とのタッグで難題を次々と突破

米軍住宅「ワシントン・ハイツ」問題の解決に取り組んだ
米軍住宅「ワシントン・ハイツ」問題の解決に取り組んだ

 田中角栄には、ポストに就くと、必ず難題が待ち受けているといった、ジンクスめいたことが多々あった。

 郵政相時は、テレビ時代突入に向けての大量免許交付問題、政調会長時代は日本医師会とのこじれ切った保険医総辞退問題、蔵相時の山一証券倒産回避への日銀法25条発動、幹事長時の大学紛争収拾のための大学立法、通産相時の日米関係泥沼化を救った日米繊維交渉の解決といった具合だ。いずれも、内政・外交の難題を、次々にクリアさせていったのだった。

 さて、前回の東京五輪の開催が決まった直後の池田勇人政権で、田中は自民党政調会長と蔵相を務めた。政調会長就任は1961年7月、その1年後から五輪開催の64年10月も蔵相を務めていた。

 この間、田中はやがて「強大無比」と言われることになる政財官の人脈を構築しつつあった。この人脈を駆使、五輪成功へ向けて汗をかいていたのである。

 いい例が、選手村づくりだった。当時、渋谷区代々木の米軍住宅「ワシントン・ハイツ」案が浮上したが、まず東京都が反対した。ハイツがいずれ国に払い下げられた場合、公園をつくる予定だから「ノー」を言い出したのだ。一連の議論の最中には、NHKも横やりを入れ、ハイツ跡地の一部払い下げで国に渡りをつけ、都議会の猛反発を得るといった混迷ぶりであった。

 こうした混迷の調整・根回しに動いていたのが、池田政権の川島正次郎幹事長と、政調会長、蔵相としての田中だった。互いに利害関係で結ばれていた仲でもある。川島は別名「ズル正」、裏工作には百戦錬磨の実績を持つ、したたかな人物で通っていた。

 川島と田中は、どう動いたのか。

 当時の都知事、東龍太郎は国際通ながら行政経験が乏しかった。川島と田中は、都の方は自治庁事務次官から内閣官房副長官を経て、五輪開催決定直後に副知事に就任した鈴木俊一(のちの都知事)を、国では大蔵省主計局長だった石野信一(のちの事務次官、太陽神戸銀行会長)を主たるターゲットとして各省庁に根回し、落ち着き先の見えなかった選手村問題も、「ハイツ」案での一件落着に持っていったのである。

 池田首相は当初、東大法卒などの学歴なしの田中の蔵相就任を懸念し、内閣改造時の更迭も視野に入れていたが、川島が持ち前の“江戸弁”で、池田の前でこう言ったものだった。

 「池田しゃん(=さん)。アンタ、田中の能力が分からんなら、ワタシも(幹事長を)止めさせてもらいますわ」

 かくて、川島と田中のタッグが次々と難題突破、五輪開催へ道筋を付けていったと言ってよかったのだった。 (敬称略)

 ■小林吉弥(こばやし・きちや) 1941年、東京都生まれ。早稲田大学卒業。永田町取材50年余のベテラン政治評論家。政局分析や選挙分析、田中角栄研究で定評がある。著書に『愛蔵版 角栄一代』(セブン&アイ出版)、『新 田中角栄名語録』(プレジデント社)、『田中角栄 上司の心得』(幻冬舎)など多数。

zakzak

  1. 高市氏の記者会見場で報道関係者怒鳴り声
  2. 次の自民党総裁にふさわしいのは誰? 高市前総務相が衝撃の「81%」 菅首相の11・9%を7倍近く引き離す 夕刊フジ・zakzak緊急アンケート
  3. 巨人・小林“謎の昇格”にナイン「いよいよトレードだ」と惜別 捕手を4人体制とした原監督の真意は
  4. コロナ、経済対策、外交…新総裁適任は? 識者に聞く
  5. 内田理央のおっぱい写真にファン大興奮「一瞬ビビった」「萌え死んだ」