【定年後の居場所】先輩に導かれ大学教員へ 50代半ば以降に願書を出し続け - イザ!

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定年後の居場所

先輩に導かれ大学教員へ 50代半ば以降に願書を出し続け

 マスコミの取材で大学教員になった理由を聞かれることがある。拙著『定年後』(中公新書)が売れたので教員になったと思っている人が多い。これには私の方が驚いてしまう。新書を書くことと大学の教員になることは全く別物だからだ。学生の頃から教育には特に関心はなく、教職課程を受けることもなかった。教員の道に進んだのは自分の意志と言うよりも一人の先輩に導かれたからだ。

 私は生命保険会社の調査部門に転勤になって15年先輩のFさんと出会った。30歳を目前にした頃だ。彼は保険会社に関係する法律や税制の専門家で、米国の生命保険会社の経営についてもよく研究していた。元々学究的なタイプだが、課題を立てて研究することが何よりも楽しくて仕方がないという雰囲気を周囲に与えていた。

 彼と同じ調査グループに入ることもあったが、Fさんはいつも役職の上下に関係なく誰とも同じ目線で接していた。私の稚拙な見解にも耳を傾けてくれて対等の立場で議論してくれた。彼に追いつきたいと週末に図書館に通って準備をすることもあった。しかし月曜日の朝に彼の資料を見ればさらに先に進んでいる。「これならいつまでたっても追いつくことはできない」と感じた。Fさんの指導もあって投稿した論文が生命保険業界の学会誌の優秀賞を受けた。私が執筆に関心を持った一つのきっかけだった。

 Fさんはその後も社内で順調に昇格していったが、50歳ごろに会社から派遣されて2年間大学で生命保険の講座を担当した。そして会社に戻り数年間は役職を担って活躍した後、50代半ばに大学教授として転身した。

 彼が勤務している大学に遊びに行ったことがある。自分の関心のあるテーマにのびのびと取り組んでいる様子だった。研究室で「ゼミの学生と一緒にソフトボールをしている時が1番楽しい」と笑顔で話していたのが印象的だった。当時40歳過ぎで将来のイメージが描けていなかった私は、「このような道もあるのだ」と驚いた。会社員でも自分にあった異なる人生を歩むことができる可能性に心が動いたのである。

 それ以降、私は転勤した先の業務の課題をテーマにして論文を学会誌に投稿した。医療保障や生命保険の営業に関するものだ。結局提出した論文は計4篇になった。正直に言えば、どうしても論文を書きたかったわけではない。Fさんの転身の現実を目の当たりにしてチャンスをつかむために準備をしておこうと考えたからだ。

 50代半ば以降には、大学教員の公募サイトを参照しながら10を超える大学に採用願書を出した。専門分野がなかなかフィットしないので書類審査で落ちるものが多く、最終面接まで残った大学も次点に終わった。

 その後、幸運にも現在の大学に採用が決まった。私にとっては63歳からの新たな仕事になった。採用に際して4篇の論文が役に立ったのはもちろんであるが、何度もチャレンジできたのはFさんがいつも楽しそうに学び、発信していた姿が頭の中にあったからだ。

 ■楠木新(くすのき・あらた) 1979年、京都大学法学部卒業後、生命保険会社に入社。50歳から勤務と並行して取材、執筆に取り組む。2015年3月、定年退職。現在、神戸松蔭女子学院大学教授。人事・キャリアコンサルタント。25万部を超えるベストセラーになった『定年後』(中公新書)など著書多数。21年5月に『定年後の居場所』(朝日新書)を出版。

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