【BOOK】師匠・志村さんの言葉で多くの人々の背中を押せたら 数え切れないほどのヒント与えてくれた 乾き亭げそ太郎さん『我が師・志村けん 僕が「笑いの王様」から学んだこと』 - イザ!

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師匠・志村さんの言葉で多くの人々の背中を押せたら 数え切れないほどのヒント与えてくれた 乾き亭げそ太郎さん『我が師・志村けん 僕が「笑いの王様」から学んだこと』

夕刊フジ:BOOK:お笑い芸人の乾き亭げそ太郎が出版、「我が師・志村けん」=21日、東京・鍛冶町(酒巻俊介撮影)
夕刊フジ:BOOK:お笑い芸人の乾き亭げそ太郎が出版、「我が師・志村けん」=21日、東京・鍛冶町(酒巻俊介撮影)

2020年3月29日に稀代のコメディアン、志村けんさん(享年70)が天へと旅立った。故郷の東京都東村山市には銅像が建立されるも悲しみは尽きない。〝笑いの王様〟の最盛期に付き人を7年間務めた愛弟子、乾き亭げそ太郎さんが〝師匠・志村けん〟の素顔と思い出を明かす。 文・高山和久/写真・酒巻俊介


――師匠に手向けた1冊です

「志村さんが亡くなってから取材の依頼はお断りし、本を書かないかという話を躊躇(ちゅうちょ)していると、ダチョウ倶楽部の上島(竜兵)さんから『師匠がくれた仕事だから受けなきゃダメだろ』と言われ、受けることにしました。志村さんの言葉は、多くの人々の背中を押せるのではないかと、当時の記憶を辿りながら、強烈に覚えていることを書いたのです」

――志願して弟子に

「子供の頃からお笑い好きでザ・ドリフターズの大ファン。『8時だョ!全員集合』(TBS系)の放映が終わり、次に始まった『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(同)に衝撃を受けたんです。なかでもドラマ仕立てのコントは僕の心をわしづかみ。あとは、志村さんのコント職人気質がたまらなくて、絶対この人のもとで学びたいと鹿児島から家出同然で東京に出たんです。6年が過ぎ、やっと意を決して志村さんの事務所をアポなしで訪問。運よく志村さんの運転手を募集していて即面接です。100人の応募の中から採用していただきました」

「仕事はリムジンで志村さんの自宅と仕事現場の送迎です。現場では食事の手配や小道具の確認も。こんな生活が3年経とうとした頃、芸人としてライブに出たいので付き人をあがらせてください、と志村さんにお願いしたんです。すると『今まで芸人になるために何をした? 俺はドリフのボーヤ(付き人)だった頃、いつもスタッフさんを笑わせていたぞ。俺のところで何もしていないヤツが何かをやれるわけがない』と諭され目が覚めました。その後はネタを書かせてもらえるようになって、『バカ殿様』の家来の役もいただきました。志村さんは環境を言い訳にしている僕を叱ってくれたんですね」

――志村さんの笑いのツボとは

「コントに対してゆるぎない自信を持っていること。リアリティーにもすごくこだわりました。カツラをつけて、その上にていねいにメークしたり。コントは『変なおじさん』のようにネタの入り口はリアルで、出口は弾けて何があってもいいという作り方。シャイだったし、誰かを傷つけるような笑いは嫌っていました。『オナラで笑う人はコントに向いている』という考えをもっていて、オナラの響きは世界共通の笑いでコントの原点だとも。志村さんの笑いは今やアジア各国にも届いていて、和製ジェリー・ルイスを目指していたと思います」

――付き人時代「志村けん死亡説」事件に遭遇

「2年目でしたか、志村さんと麻布十番で食事をしているとマネジャーさんから『死亡説が流れている』という電話があって僕がびっくりしていると、志村さんは『俺、死んじゃったの?』と笑っていたことを思い出します。噂の元は、志村さんがリムジンで宇都宮のゴルフ場へ行くことが増えて、その近くに県立がんセンターがあって、『通院している』『死亡した』という具合に次第に噂が膨み発展したみたいです」

――舞台にも情熱を

「じかに笑いを届け、お客さんの反応を見たいと語っていた志村さん座長の舞台『志村魂』は2006年から始まりました。第2幕は松竹新喜劇のお芝居で、志村さんの演技はまるで藤山寛美さんの生き写し。志村さんの『何をやるにしても、うまくなるためのコツはモノマネだ』という言葉を実感したものです」

「思い返せば僕には教えきれないほどたくさんのヒントを与えてくれました。あるとき『ドリフ大爆笑』のリハーサルで、通行人をやってみろと言われたのです。初めてのカメラの前で、歩くことひとつでも演技の難しさ、役を勝ち取る大変さを知りました」

――最後に会ったのは

「19年夏の『志村魂』大阪公演です。楽屋に挨拶に行ったら『おう、来たか』と初めて志村さんから笑いかけてくださって。翌年、亡くなる前の2月にも。20日は志村さんの誕生日でしたが、このときは会えないままに鹿児島に帰り、翌月に突然お別れの知らせが届きました。1年経った今でも志村さんが大好きで、天才志村けんを一番理解している人間でいたいと思います」


鹿児島から単身上京した筆者。「志村けん」のもとで働きたいと所属事務所のドアを叩き、運よくドライバー兼付き人として採用される。「笑いは正解のない世界だから、俺から教えることはないぞ」とボソっと語った志村に「これこそが本物の芸人だ」と感動し、惚れた。「笑い」の間違いに対しては徹底的に問い詰めるも、仕事上のミスは怒らず「そういうこともあるさ」と飄々としている優しい男。新型コロナウイルスで急逝した〝師匠〟に捧げる弟子からの感謝のしるしだ。

乾き亭げそ太郎(かわきてい・げそたろう) お笑いタレント。1971年鹿児島県生まれ。50歳。94年志村けんに弟子入りし、7年間付き人。97年から『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ系)に〝メガネをかけた家来〟役でレギュラー出演。2002年かねきよ勝則(新宿カウボーイ)と「いちばんのり!」を結成も06年解散。07年の舞台『志村魂2』~『志村魂10』出演。10年に鹿児島でローカルタレントとして活動を始め『鹿児島わが町自慢~地元の〝とっておき〟教えて~』(鹿児島テレビ)などで活躍中。かごしま漬け物大使、温泉ソムリエ。

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