【昭和歌謡の職人たち 伝説のヒットメーカー列伝】和製ポップスの名シェフ、バラエティーでも活躍 作曲家・編曲家、宮川泰 - イザ!

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昭和歌謡の職人たち 伝説のヒットメーカー列伝

和製ポップスの名シェフ、バラエティーでも活躍 作曲家・編曲家、宮川泰

 宮川泰さんは1960年代から和製ポップス界の先駆者として作曲・編曲で活躍された重鎮的存在であった。

 当時の日本の流行歌の主流はしんみりと暗い感じのメロディーが多い。対してアメリカンポップスは明るくロマンチックで甘い感じがする。

 歌の楽譜に「C」とか「Am」という記号をみたことがあるだろう。音楽を少し分かるようになると、この記号で伴奏和音の作り方が見えてくる。例えばドミソの音を同時に引くとCのコードハーモニー(和音)になる。

 日本の演歌・歌謡曲はマイナー・スリーコードといわれる「Am」「Dm」「E7」で作られたヒット曲が多い。『くちなしの花』『ダンシング・オールナイト』『ふたりの夜明け』など実にシンプルな作りだ。

 洋楽は「C」「Am」「G」「F」の4コードを使う。そんなメロディーの流れを組み入れたのが和製ポップスのスタートである。

 宮川さんは60年代の和製ポップスの名シェフとして多くの創作料理を作ってきた。代表作がザ・ピーナッツの『ふりむかないで』(62年)。若い女の子がデートに行く心情を明るくテンポ感のある曲調に仕上げている。その内容で演歌調は無理があるだろう。

 63年の『恋のバカンス』もヒットする。この曲は当時のポップス志望の歌手がオーディションで最も多く歌った。また後年、世代を超えて多くの歌手にカバーされている。

 同年には『東京たそがれ』が発売された。64年にイタリアのカンツォーネの女王、ミルバが来日した際、歌ったことで一気にブームになり、アレンジに手を加えたものが『ウナ・セラ・ディ東京』。坂本スミ子、西田佐知子、マヒナスターズらが競作して大ヒット。第6回日本レコード大賞では作曲賞に輝いた。ちなみに『ウナ・セラ・ディ東京』はイタリア語で「東京のある一夜」という意味である。

 66年には、園まりの『逢いたくて 逢いたくて』でしっとりとした甘い歌謡曲でヒットさせている。このあたりからムード歌謡のムーブメントの兆候が出始めた。まさに時代を先駆けていたのだ。

 数多くのヒット曲に加えて、69年には『巨泉×前武ゲバゲバ90分』のテーマ曲も手がけるなどバラエティーでも活躍している。

 ■宮川泰(みやがわ・ひろし) 1931年3月18日~2006年3月21日、75歳没。作曲家・編曲家の宮川彬良は長男。

 ■篠木雅博(しのき・まさひろ) 株式会社「パイプライン」顧問、日本ゴスペル音楽協会顧問。1950年生まれ。73年、渡辺プロダクションに入社し渡辺音楽出版を経て、東芝EMI(現ユニバーサルミュージック)入社。制作ディレクターとして布施明、アン・ルイス、大塚博堂、五木ひろしらを手がけ、椎名林檎や石嶺聡子のデビューを仕掛けた。2010年に徳間ジャパンコミュニケーションズ代表取締役社長に就任し、リュ・シウォン、Perfumeなどブレークアーティストを輩出してきた。17年に退職し、現職。

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