【今日も一緒にプロレスを楽しみましょう!】無敵の小川直也も屈した「五輪の魔物」 日本中が天を仰ぎ…悲鳴とため息が - イザ!

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無敵の小川直也も屈した「五輪の魔物」 日本中が天を仰ぎ…悲鳴とため息が

ハハレイシビリ(右)と組み合う小川直也
ハハレイシビリ(右)と組み合う小川直也

 1年延期された2020東京五輪が紆余曲折の末、7月23日に開幕する。ただし、コロナ禍は収まらず、観客数の制限など直前まで何が起こっても不思議ではない。

 「五輪には魔物が棲んでいる」とは、よく言ったものだ。29年前を鮮明に思い出す。現地取材した1992年バルセロナ五輪での「悲劇」…。

 日本のお家芸といえば、当然のごとく柔道だった。1964年の東京五輪で初めて正式種目に採用され、世界に普及するにつれ「日の丸柔道軍団が最強」とまで残念ながら言えなくなってきているが、92年当時はまだまだ「金メダルでなければ、帰ってくるな」という風潮があった。

 中でも男子の重量級は「金でなければメダルにあらず」と、柔道界だけでなく日本国民も無言のプレッシャーをかけていた。選手は大変な重責を、両肩に背負うことになる。

 山下泰裕(84年ロサンゼルス五輪・無差別級優勝)、斎藤仁(84年ロス、88年ソウル五輪・重量級優勝)と、2人の偉大な金メダリストの後を継いだのが、のちにプロレスのリングにも上がった小川直也だった。

 高校から柔道を始めた小川は、持ち前のポテンシャルを生かし、山下、斎藤の引退後、不在だった重量級の絶対エースに躍り出る。全日本選手権では89年から92年まで4連覇、世界選手権でも87年無差別級・金、89年重量級、無差別級・金、91年無差別級・金と、文句ない戦績を残していた。

 91年のバルセロナ大会では重量級で銅に終わり、当初は他の選手が出場する予定だった無差別級に「金をとれなければ引退する」と覚悟を決めて参戦。見事に無差別級3連覇を果たしている。

 当然、92年バルセロナ五輪でも金が期待されていた。いや、金しか思い浮かばなかった。金獲得の予定稿はとっくに出来上がっている。日本を出発する前から、金を想定して明大の先輩である坂口征二・新日本プロレス社長(当時)のお祝いコメントも取材していた。「プロレスに来いよ」の一言も入れてあった。

 順調に決勝進出。相手は前年の世界選手権・無差別級決勝で快勝しているダヴィッド・ハハレイシビリ(旧ソ連)。記者席で「君が代が聞ける。センターポールの日の丸が見られる」とワクワクしていた。

 ところが、大腰、小外掛の合技で一本負け。王手をかけていた金メダルを逃してしまった。現地の日本人はもとより、日本でその時を待っていた国民が天を仰いだ。その悲鳴とタメ息がバルセロナまで届いた気がした。

 「五輪で金を取って、柔道を辞めようと思っていた」と、うなだれた小川は96年アトランタ五輪に再チャレンジすることになったが、五輪の魔物は…。(プロレス解説者・柴田惣一)

zakzak

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