将棋の藤井聡太棋聖が第92期棋聖戦五番勝負で渡辺明名人の挑戦を退け、初防衛を果たした。18歳11カ月での防衛は最年少記録である。
タイトル保持は昨年8月に獲得した王位と合わせて通算3期となり、規定で九段に昇段した。これも最年少記録だ。
タイトルは獲得するより守る方が難しいとされるが、藤井棋聖の戦いぶりには、棋界を背負う棋士としての風格が備わり、堂々としていた。過去のタイトル戦でストレート負けのない渡辺名人を、3連勝で破った点でも価値が高い。将棋界の変革期に、証人として立ち会えた喜びをかみしめるファンも多いはずだ。
人工知能(AI)を搭載したソフトの進化により、プロ棋士の価値観や感覚は根底から崩れたといわれる。羽生善治九段は令和の棋界を「カオス(渾沌(こんとん))」と評した。価値観の定まらない時代相をも言い当てている。
将棋界にかぎらない。新型コロナウイルス禍により、生活様式も働き方も常識が覆され、従来の考え方では対処が難しい事柄が増えた。だからこそ、人は判断のよすがとなる価値観をこれまで以上に自問する必要がある。物事の優劣を数値で示すAIは便利だが、示された答えの採否を決めるのは人間だ。AIの進化は、人が思考を止めていい理由にはならない。
藤井棋聖は今年1月末、卒業目前で高校を自主退学した。将棋一筋で生きていくという覚悟の表れとも読める。多くの若者が何の疑いもなく大学に進む時代に、人にはさまざまな生き方があるという選択肢の提示とも読める。
AIには下せない決断だ。規格にはまらない藤井棋聖の姿勢は、「生きづらさ」を訴える若者たちにとって一つの指針になるのではないか。
本紙に掲載された作家の柚月裕子さんとの対談で、藤井棋聖は「どの駒もうまく使うことができれば活躍の場所は必ずあります。使いづらい、というのは駒の問題というよりも自分の力の問題」と語っていた。答えを人任せにせず、決断に責任を持つ。そんな人生観が投影されている。
考えながら前に進もうとする若者の横顔に、われわれが学ぶことは多い。記録はもちろんだが、苦悩の末に導き出す一手の味わいを通じて、「頭脳の格闘技」の魅力をさらに広めてもらいたい。