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瀬戸内から世界の海へ 粟島(香川県三豊市) 小林希

産経ニュース
中央左寄りの淡いブルーの建物が粟島海洋記念館。船大工による左右対称の構造が特徴だ
中央左寄りの淡いブルーの建物が粟島海洋記念館。船大工による左右対称の構造が特徴だ

香川県三豊(みとよ)市の須田港から船で粟島(あわしま)に近づくと、港に広がる集落の中で淡いブルーの建物が目を引く。かつて粟島海員養成学校だった粟島海洋記念館だ。ここで明治から昭和にかけての90年間、外洋航路の船員が多く輩出された。

粟島はもともと3つの島が潮流によって砂州でつながり、スクリューのような形をしている。その地形から古来潮待ちの港であり、江戸時代には北前船の寄港地として栄えた。回船業や船頭に従事する人が多く、財を成す豊かな島だった。

明治になると、船の主流は和船から洋式の帆船や蒸気船へ移りはじめ、政府は国家資格の海技免許制度を導入した。

島出身で海運事業家の中野寅三郎(とらさぶろう)は、地元の発展を見据えて私財を提供し、明治30年に国内初となる海員養成学校を創設した。1年制で甲板科と機関科があり、卒業すると海技士の資格が得られた。船員は世界7つの海から南極大陸まで繰り出し、1年の大半を船や寄港地で過ごしたそうだ。

船員OBによって、さまざまなエピソードが語り継がれている。「南極から約4億年前の石を持って帰った」「南米では、たばこ1箱と大きなバナナを交換した」「泥棒が多く、船員は海賊に苦労した」…。

粟島海員養成学校は昭和62年に廃校となった。その後は粟島海洋記念館として保存され、現在は三豊市のもと、宿泊施設の「ル・ポール粟島」が運営管理する。OBたちも、「ここは自分たちの青春そのもの」として清掃などを手伝っている。

ところで、粟島の伝統行事に「島四国八十八カ所めぐり」がある。江戸時代、島の所有や島民が船長の船の数が88隻を超えた際に、88体の石仏が建立されたという。以降、旧暦3月21日に参拝する風習ができ、現在は4月29日に行われている。

粟島に泊まると、夜の海でウミホタルが鑑賞できる。青く光り輝く光景は幻想的だ。

令和元年には、三豊市が「一般社団法人TARA JAPAN(現・タラオセアンジャパン)」と連携協定を結び、粟島を海洋環境教育や啓発活動の拠点にすると発表した。

〝船と船員と海〟という深い関係の中で、伝統文化や信仰などが生まれ、島らしさとして現在に残る。船員の青春の日々にも思いを重ねて、島をゆっくり歩きたい。

■アクセス 香川県三豊市の須田港から定期船が運航。所要時間は約15分。

■プロフィル 小林希 こばやし・のぞみ 昭和57年生まれ、東京都出身。元編集者。出版社を退社し、世界放浪の旅へ。帰国後に『恋する旅女、世界をゆく―29歳、会社を辞めて旅に出た』(幻冬舎文庫)で作家に転身。主に旅、島、猫をテーマにしている。これまで世界60カ国、日本の離島は100島をめぐった。

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